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横須賀オン・マイ・マインド

第207回 テンポのキープ

 普通バンド演奏で正確なテンポ出しは大変重要である。一度スタートしてしまったら最後までそのテンポで行かねばならないので慎重を期する。バンドではバンマスが出すがビッグバンドではドラマーがスティックでカウントを全員に伝えることもある。またコンボバンドではピアニストがイントロでテンポを決めることも良くある。
 また、現実問題として最初の意図と離れて次第に早くなってきたりすることも良く見受けられる。スローバラードなどをしっとりと唄いたい場合に次第にテンポが速くなり、最後は祭囃子のようになってしまうともう演奏を即刻打ち切ってステージを降りたくなる。テンポが揃わないのはメンバー同士の意思疎通が不完全なために生じる。
 通常曲の最初は「ワン、ツー、スリー、フォー」のカウントでスタートするがあるミュージシャンはカウントすることを禁じる人もいる。ではどうするか?曲の頭は呼吸で相手に伝えてそっと出るのが理想である。いつも一緒にやっているメンバー同士だとこうしたスマートなスタートも可能だろう。初めて同志だとそうは行かない。
 いずれにせよ、音楽であるからただメトロノームのように正確にリズムを刻めばよいという訳ではない。スインギーなリズム、粘っこいリズムなどそのバンドの特性はそのリズムにある。しかしこうした良いリズムも正確なテンポの上に成り立つのである。だから曲の始まりは最大限に集中して演奏したいと常々感じている。
 
         
第206回 シャリコマの効用

   バンドマン用語は何でも言葉をひっくり返して言う“決まり”がある。例えばギャラは“ラーギャ”、メシ(食事)は“シーメ”、マネージャーは“ジャーマネ”などである。それらの中で比較的よく使う用語に「シャリコマ」がある。コマーシャリズムの逆である。文字通り受けを狙ったはやり歌などの選曲に用いる。
   ライブでは客層に応じて選曲には最も注意を払っている。ライブでメインの曲目は勿論ジャズであるが一般客の多いライブではジャズばかりではなく、POPSや歌謡曲、ニュース性のある曲なども積極的に取り入れる。要するに「シャリコマ」である。私はこうした「シャリコマ」曲もある程度必要だという持論を持っている。
  我々はこの3年間連続でマレーシアに行ったが現地コンサートでの演奏曲の中では我々にとっては「シャリコマ」である日本の童謡、現地の人気曲、映画音楽、讃美歌等が大人気であった。それも若干のアレンジを加えてしかも観客に趣旨を説明した上で演奏している。そうすると観客もああそういう曲なのか・・・と言う訳で大喝采となる。
   ライブによって「シャリコマ」の定義も変わってくることは言うまでもない。男性が多いか女性が多いかでも変わってくる。ライブでは聴かせたいジャズの曲の中に例えば「リンゴ追分」等を組み入れて演奏した結果「今日のりんご追分は最高でしたね。」等と言われるとありがとうございます、と言う笑顔の頬がちょっとひきつったりする。


第205 ジャズレジェンドたちの教え

 ジャズを始めてから50年余り。長く続けてきたお蔭で若い人には味わえない貴重な体験ができたのは大変素晴らしいことだと思っている。私がジャズを始めた頃は「ジャズ界のレジェンド」と言われる人たちが現役ばりばりであった。そうした人たちが日本を訪れ我々の前にその演奏を披露してくれたのである。これほど幸せな経験はない。
 色々なプレーヤーに感激したが中でも代表的なのは次の二人である。一人は“サッチモ”ことルイアーム・ストロングだ。コンサートの冒頭でテーマの「南部の夕暮れ」を吹きながら登場した時にはその音に体全体の震えが止まらなかった。元々この人は1920年代にホット5、ホット7でジャズの基礎を築いており、ジャズ界のレジェンドそのものである。
 もう一人はデュークエリントン楽団のリードアルトを務めていたジョニー・ホッジスである。この人のアルトも素晴らしかった。アンサンブルでは余り真面目に演奏しているようには見えないがソロとなると俄然“本気”である。マイクの前に立ち、“I got it bad”のグリサンドから演奏を始めた時は「あー、これが本物のアルトだ!」と感動したのである。
 この二人は特に本物でしか味わえない音そのものの魅力が大きい。その後いろいろなプレーヤーが来日しているが皆それぞれ個性的な音で観客を魅了している。ジャズの場合、単に早いパッセージを吹きまくるだけではなく、独自の音でフレーズを歌う事が最も大切なんだという事をレジェンドたちに教えられたのである。この教訓は今でも私の中に生きている。
 
         
第204回 映画「グリーンブック」を観て

   「グリーンブック」と言う映画を観て感動した。グリーンブックとは黒人専用のガイドブックのことである。こういう小冊子が存在すること自体が人種差別の存在を明確に表している。主人公の黒人のピアニストの演奏ツアーの運転手兼ボディガードに雇われた白人が最初は反目していたが各地で演奏ツアーを行ううちに次第に友情が芽生えるという話である。
  主人公二人の組み合わせが面白い。一人は黒人ながら小さい時から高い教育を受けた優秀なピアニスト。理知的で神経質、寡黙な芸術家タイプである。一方の白人運転手は粗野で下品、黒人嫌い、おしゃべりな大食漢である。コンサートでは絶賛を浴びるピアニストだが生活では黒人としての差別を味わう。この対照的な2人が旅を続けていく。
  このツアーはクリスマスイブまでに運転手の自宅に帰るという契約になっているが最後は運転手が疲れ果てて寝てしまう。彼をピアニストが運転して自宅に送り届ける。そこで開かれている身内のクリスマスパーティにピアニストが参加するくだりはジーンと来てしまった。ここでは“ニガー”と黒人を揶揄する友人を運転手が逆にたしなめるのだ。
  この話の舞台は1962年、黒人差別の最も激しい時代であった。この映画に感動する余韻の中、もう一つの興奮が待ち受けていた。スタッフキャストの紹介が流れるバックに私の大好きな2曲がBGMとして流れてきたのだ。”Lonesome road”,”Mardi-gra in New Orleans”である。2曲共良く演奏する曲なので清々しい気持ちで映画館を後にしたのである。


第203 CD販売奮戦記

 私が初CDをリリースしたのは3年ほど前の夏であった。水戸のスタジオを借りて2日間録音した。頼りがいのあるスポンサーと共にスタッフ、素晴らしい共演者に囲まれて録音は順調に進行した。その前までは自分のCDなんて、と腰が引けていたのであるが、いざ録音してみると意外にリラクスして自分の音楽ができたことに驚いたものである。
 そしていよいよ発売となりまずは友人、親せきから販売を始めた。また夏の三重ツアーでは他のミュージシャンに交じって入り口際のCD販売コーナーの一画にも置かせてもらい、演奏の後販売活動を行った。ここでは客の反応が顕著で良く売れた。ここ以外でも自分のライブの後に宣伝すると良く売れて持ち込在庫が切れてしまう事もあった。
 評判はどうか?まあ元々私の支援者に買って戴いたので義理もあり、そう悪い評価は聴かなかった。いつも車や自宅のオーディオで“座右のCD”として聴いて下さる方もいらっしゃる。更に友人がなくなり、彼が生前聴いていた私のCDを葬儀場のBGMで流してくれた時には本当に感激したものである。故人の供養になればこんなに嬉しい事はない。
 さて、一通り知人にも行き渡り、そろそろ“2枚目は?”のお問い合わせもいただくことがある。決して1枚目で満足しているわけではない。初CDに収めた13曲以外にも私の好きな曲は沢山ある。意欲は充分あるのだが資金面等でそう簡単に踏み出せない。まあ、喜寿を迎えた身としては次の米寿くらいまでに第2作目ができれば、と悠長に考えている。
         
第202回 ボヘミアンラプソディーを観て

   ボヘミアン・ラプソディ」と言う映画が評判になっていると言うことを聞いてミーハー的な気持ちで観に行った。私はこの映画のモデルになったクイーンと言うバンドも主人公のフレディ・マーキュリーと言う歌手も全く知らなかった。勿論、映画の中で歌われた曲はどれひとつ聴いたことのない曲ばかりであった。
  この映画のストーリーはごく単純である。フレディがヴォーカリストとしてバンドに参加し、ヒット曲を作り上げていく。そして同時に恋人のメアリーを知る。やがてスターダムに駆け上がって行くのであるが仲間との意見の違いから一度は離反する。まあミュージシャンにはよくある話で別に奇異なものは何もない。
  彼は45歳の若さでエイズのため亡くなるのだが映画では最後のライブエイドでの大観衆を前にしたコンサートがクライマックスとなっている。ストーリーはさして劇的でもないのだがラストのコンサートシーンには感動した。この映画は絶対に劇場の大音量のスピーカーから繰り出される音を聴かなければ全く意味をなさないだろう。
  私が大変感動したのはこのバンドの曲がガンガン鳴らすだけではなく意外と創造性に満ちた佳曲が多い事だ。更にこのバンドは最初日本で人気が出たらしい。最初に来日した時、その異常な歓迎ぶりに「ほかの惑星に来たと思った。」と感想を述べている。要するにロックにしろ、ジャズにしろ、“良い曲は良い”と言う当たり前のことを実感したのである。


第201回 LPレコード鑑賞会

座間市のコーヒーショップで「SPレコード鑑賞会」が毎月定期的に行われている。この会の主催者は同市に住むO氏である。毎回手製のアンプ、レコードプレーヤー、スピーカーなどを持ち込んで開幕する。そして会員たちが思い思いにご自慢のSPレコードを披露するのだ。レコードだけでなく、皆に聴かせる曲の解説書、いわゆるレジュメも準備される。
 発表できる曲は一人4曲。その中に発表者の思い入れとこだわりが込められているのだ。SPレコードの時代は1950年代まで続いた。従って音楽内容はスイングジャズからビバップの初期までを含んでいる。チャーリーパーカーの全盛期の演奏なども披露される。ジャズのマニアにとってはたまらなく充実した数時間となる。
 こうした集まりは主催者のO氏の熱意とこの開催を許してくれるコーヒーショップ[マジョリカ]の協力なくしては成り立たない。当日ゆっくりお茶を飲みに来た他の客にとっては迷惑この上ないだろう。何だか訳わかんない曲をガンガン聞かされるのだから、こうした古い曲はマニアにとっては感激ものでも無関心の人にとっては騒音以外の何物でもない。
 私がSPレコードを好む理由はまず、この時代には素晴らしいプレーヤーによる名演が多い事、そして音質が良い事などである。ただ私はもう一つ、SPレコードの限られた時間内に簡潔に演奏される音楽が好きだからだ。モダンジャズの中にはやたらと長い演奏があるが私は好まない。矢張り限られた時間内でソロも短く簡潔な演奏が本当の名演だと思っている。
         
第200回 インディアンサマー

   北米で晩秋から初冬にかけての時期に時々とてつもなく暖かな日があるという。ロッキー山脈のフェーン現象のせいらしい。こうした気候をIndian summerと呼んでいる。これを経験した人の話によるとこの暖かさはポカポカなんて生易しいものでなく半袖でなければ過ごせないほど強烈な暑さだそうだ。
  北米に限らず同じ緯度のヨーロッパでも同様な気候があるという。ヨーロッパの場合は「老婦人の真夏」と呼ぶそうだ。それに対して日本ではこうした気候を「小春日和」と呼ぶ。矢張りさすが日本、表現がとてもマイルドで詩的である。やはり日本の四季感覚には欧米の色気のない表現にはない繊細さが潜んでいると言わざるを得ない。
  所でジャズのスタンダード曲の中にもIndian summerと言う曲がある。この曲はコード進行やメロディが独特でちょっとクセがあってとても難しい。それもそのはず作曲者はアイルランド出身のヴィクター・ハーバートとういう人だがこの人はクラシックで活躍し自身もチェロ奏者でニューヨークフィルとチェロ協奏曲をやっている程の人である。
  とても良い曲で私の大好きな曲の一つでもある。この曲は元々フランクシナトラの歌でヒットした。ただ私はニューオリンズのソプラノサックス奏者、シドニー・ベシェの演奏が大好きである。今年もこの曲のシーズンになったので「小春日和」の日のライブにはこの曲を朗々と吹くべく練習を重ねて満を持している。


第199回 楽器の投機的価値

 楽器と言うのは本来音を出して演奏するものだがもうひとつの価値がある。古いヴィンテージ楽器ともなるとそれ自体に投機的価値が生じてくる。そこで一部蓄財に抜け目のない人が大量に買って値上がりを待つ形となる。この現象は純粋に楽器を演奏する人達にとっては歓迎されないどころか大変迷惑な事態である。
 私が演奏するサックスもその対象の一つである。アルトサックスでも1台100万円近くするが最近その値段がじわじわと上がっている。お店の人の話ではやはり中国人系の人が多数買いあさっているそうである。彼らの目的は単純に投機的な購入である。管楽器にしてこうなので弦楽器ともなるとその100倍以上となり投機的な価値は更に飛躍的に高まる。
 所で最近一躍大金持ちになったIT企業のM氏は月への旅行を予約したり、ジェット機を購入したり札束に物言わせて高価な買い物をする一方タレントと交際などで話題をまいている。まあ自分の金だから何に使おうと勝手ではあるが最近ストラスバリウスのヴァイオリンを何億かで購入したそうである。勿論彼が弾くわけはない。
 IT成金が手を出すくらいだから少なくとも売名行為かまたは投機目的であろう。あのような金の亡者には神聖なストラティバリウスに触って欲しくないというのが偽らざる心境である。もし音楽を少しでも本当に愛するなら音楽を学ぶ若人のために出資でもしてくれた方がはるかに社会のためになる。楽器は良い音を出してこそ真価が発揮されるべきだろう。
         
第198回 練習時間の確保

   楽器を演奏する人は皆それなりに普段から練習を必要としている。人によって練習時間はさまざまである。練習しようと言う意欲は別にして、管楽器の場合、練習するにはまず場所の確保が必要となる。一般的には住居内で思い切り音を出すのは難しいだろう。家の中に防音室を作らない限り音の弊害は避けられない。
  そこで外部に練習場所を見つけなければならなくなる。先ず第1は公民館などの公共施設、そしてカラオケボックスが挙げられる。ただ前者は予約が必要だし地域によっては競争率が激しく予約が取れてもせいぜい週1回程度が限度だろう。カラオケボックスはその点金さえ払えばいつでも使えるので便利ではあるが中には楽器禁止の店もあるようだ。
  一説によればプロミュージシャンになるためには最低1万時間の練習が必要だそうである。私などは始めてから既に60年以上が経過しているので通算では1万時間は超えているがこれはあくまで若い時の10年から15年の間に達成しなければ意味がない。そうすると仮に10年間としたら毎日3時間の練習が必要となる勘定になる。
  勿論練習時間さえ確保すれば誰でもプロになれるのだったら苦労はしない。問題はその中身と実際にステージで多くの経験を積まなければならないだろう。プロになるかならないかは別としても楽器を志す人にとって練習時間の確保は永遠に続く課題である。スランプに苦しみながら、実際の演奏結果に一喜一憂しつつこれからも地道な練習あるのみである。


第197回 ジャズの譜面

 以前、趣味でクラシックピアノを習っている友人がライブの休憩時間にやってきて我がバンドのピアニストの譜面を観て「さっきの曲はたったこれだけの譜面ですか!」と驚いていた。それもそのはずでクラシックの場合は5,6分の曲でも譜面は数ページに及ぶ。それに対して我がバンドの譜面はA4判1ページである。
 ジャズではメロディ譜が高々約32小節かそこらとコードが書いてあるだけである。プロのメンバーであればその程度の内容は殆ど頭に入っているので本当は余り譜面の必要はない。ただコードと言うのは人によって解釈が違うのでその確認のために譜面を準備する。特にコード楽器(ピアノ、ギター、ベース等)では譜面合わせはやはり大切な作業の一つとなる。
 私は本番では殆ど譜面を観ないが練習時には譜面を観て自分の記憶と照合し、メロディやコードの確認をする。勿論ビッグバンドなどでは譜面通りの演奏が要求されるため、皆譜面を正確に演奏する事が義務付けられる。これはまたこれで譜面に忠実な演奏をするためにはそれなりの技術が要求されることは言うまでもない。
 所で最近こうした譜面の作成がIT技術の進歩のお蔭で大変便利になった。またアイパッドを利用すれば紙の譜面は不要で何千曲もの譜面が立ちどころに画面に出る。写譜や転調の手間も不要なのだ。便利になることは大歓迎だが反面曲を覚えにくくなったことは事実だろう。しかしそれは単なるジジイの愚痴と受け取られかねないから大きな声では言えない。
         
第196回 そろばんとジャズ

   人間の脳には左脳と右脳がありそれぞれは違った働きを持っている。左脳は計算脳、言語脳と言って短期的な記憶に適している。それに対して右脳は音楽脳、イメージ脳と言って感情面をつかさどる。試験前の一夜漬けのように一時的な知識の吸収には左脳が適しており、長時間持続する記憶は右脳に拠る所が大きいと言える。
 従って音楽で曲や譜面を覚えるのは右脳が担当する。クラシックの指揮者は膨大な交響曲もすべて覚えている。これは左脳ではとても処理できるものではない。更にジャズのアドリブ演奏は周囲の音を聴きながら瞬時にフレーズを作曲しなければならないがこれこそ右脳の力が100%発揮される作業なのである。
  それではどうしたら右脳を開発できるのか?私はそろばんが最も効果的に右脳を鍛える力になると思っている。そろばんは日本が発明した計算ツールだが暗算は更にその力を高めている。暗算は頭の中にそろばんをイメージし、頭の中でイメージしたそろばんを駆使して演算する。従って熟達すれば何も器具を用いずに正確に早く計算ができる。
  昨今、学習塾が大流行で学習塾に通わない子はいないくらいだろう。しかし長い目で見れば学習塾よりは一見受験の役には立たない珠算塾の方が右脳開発には役立つ。私は小学校の頃学習塾の経験はないが珠算塾には通わせてもらった。別にジャズに親しむことになったから言う訳ではないが今から思えば親に大感謝である。


第195回 ミュージシャンの身だしなみ

 ジャズが全盛だった頃、ジャズミュージシャンが行動を共にするときには皆スーツにネクタイ、コート、帽子でびしっと決めていた。彼らが一団となるとかなりの迫力になる。映画などで観ると「かっこいいなあ。」と感心してしまう。その時代にはジャズマンが最もファッショナブルな集団のひとつと認められていたようである。
 所でワールドカップ出場のために空港に集まった選手たちがスーツにネクタイで全員が決めている姿も実に気持ち良い。彼らは元々スマートで若々しいので余計スーツ姿が良く似合う。両者とも主戦場はステージであり、グランドかも知れないがこうしたプライベートな場でもかっこよく装う事はとても重要ではないだろうか。
 かつて友人のアマチュア合唱団がコンサートで全員が柄違いのシャツを思うままに着てよれよれのチノパンで登場した。カジュアルを意識して決めたのだろうが出っ張った腹ばかりが目立ち全体的にしょぼくれて冴えない姿であった。老人にとって“カジュアル”はよほどセンスを磨かないと貧乏臭くなる。
 私は自分のバンドのドレスコード(服飾規定)では敢えてスーツまたはブレザーにネクタイと指定することが多い。若いうちはジーンズやTシャツでも着こなす力があるのだが歳とったらある程度のみだしなみは必要不可欠と思う。姿がみすぼらしいと演奏までが貧相に聴こえるのではないだろうか。「他人のふり見てわがふり直せ」である。
         
第194回 感情移入は“抑揚”つけて

  小学生の時、学校で本や日記を読まされると良く先生に言われたものである。「もっと抑揚をつけて読みなさい」と。抑揚とは辞書によれば“話すときの音声や文章などで調子を上げたり下げたりすること”とある。つまり分かりやすく言えば調子が一本調子にならぬようメリハリをつけるこである。    
  一口に“抑揚”と言ってもその手法は様々である。声の高低、トーンの変化、またはスピードの調整、時には声色などと言う手法も加わるかもしれない。昔徳川夢声と言う弁士がおり、この人の“宮本武蔵”等をラジオで聴くと抑揚と間(ま)に引き入れられて思わず乗り出すほど緊張感と臨場感が高まったものである。
  音楽、特にジャズの場合も同様である。メロディをただ吹けばよいと言う事ではない。またよくあるようにアドリブのフレーズを闇雲に早く奏することによって技術を誇示しても“上手いなあ”と感心はするものの感動は伝わらない。矢張り奏者の感性によって紡ぎ出された抑揚溢れるフレーズが人の心を捉えるのである。
  懐古趣味に陥る気はさらさらないのだが最近の音楽(ジャズと言っておこう)にはどうも抑揚と感性を加えた繊細さが欠けているとしか思えない曲が多い。もっと演奏者は丁寧に感情を移入して演奏する必要があるのではないだろうか。尤もこれは奏者だけの責任ではあるまい。曲自体も感性に乏しい曲が多くなっているように感じる。


第193回 大切な曲のエンディング

 アマチュアの演奏を聴いていると良くエンディングがはっきりしない場合がある。終わるか終らないかはっきりしないまま、皆が当惑しながら何となく終わってしまう。時には終わることができず仕方なくまた1コーラス自動延長してしまったりする。聴いている方からするとハラハラしながら演奏に付き合わなければいけない。
 これらはすべてエンディングの処理を誤った結果である。通常エンディングの場合はコード上、フレーズ上で一定のルールがある。更にバックの奏者に対しての素振りやアイコンタクトでエンディングを知らせる必要がある。それをフロントの奏者が独りよがりでやってしまうとちぐはぐな結果に陥るのである。
 また一方、いつも同じワンパターンのエンディングフレーズで終わってしまうのも誠に芸のない事である。“タータッタ、タタタタ、バーン!”だけでは如何にも拙い。エンディングに限らず曲を盛り上げる手法は常に他人の演奏などを聴いて手口を貯め込んでおく必要がある。ため込んだフレーズの貯金を当意即妙に曲想に応じて繰り出していく。
 ジャズの場合はイントロ(出だし)も勿論重要である。ただ[始め良ければ全て良し]と言うわけには行かない。聴衆に好印象を与えるためには自信満々にフレーズをかっこよくまとめてこそ拍手喝采で完結するのだ。ジャズの場合はむしろ「終わりよければ全て良し」と言うことになるのかもしれない。
         
第192回 わが心のニューオリンズ

  初めてニューオリンズを訪れたのは1972年の事である。大阪在住時に在籍していた“ニューオリンズラスカルズ”の一員としてニューオリンズ市の名誉市民章を授与されるための訪問であった。ただ実際にはニューオリンズ以外の街も訪れて各地で演奏会を行い、また各地の地元バンドとの交流も活発に行った。    
  「ニューオリンズの市民章は何の得があるの?」と良く訊かれる。そんなものは何もない。市役所の中でおえら方の列席の元、授与式があり、記念演奏を行ったが別に年金を与えられたわけでもない。ただこの旅行で得た本物のジャズの迫力、共演で得た大きな自信は何物にも代えがたい宝物として私のジャズ人生に残ったのである。
  そもそもこの市民章を受けた条件と言うのはただ“ニューオリンズジャズが好きでその普及に貢献した”という一事である。これに関しては胸を張って自慢できる。それほどニューオリンズジャズを愛し、演奏活動を通じて普及に貢献してきた自負はある。現在はスタイルこそ異なれ、基本は常にニューオリンズジャズにあると言える。
 扨、と言う訳で今年もその“聖地”ニューオリンズ訪問の日が近づいてきた。これで都合6回目の訪問となる。毎回新たな興奮があるが今度はどのような新しい興奮が待ち受けていることだろうか。現地はフレンチクオーターまつり真っ盛り。繁華街のあちこちでライブが行われておりこれらを楽しむのが無上の楽しみである。


第191回 アドリブを習うには

 ジャズの場合アドリブと言う厄介な技術が必要となる。これは人によって異なるが楽器の技術そのものよりは適性のようなものがあるらしい。その証拠に音大出の優秀な奏者でも全くアドリブには手が出ない人もいれば逆に楽器を始めて間もないのにアドリブを習得する人もいる。第1、アドリブ習得のマニアルがないのだ。
 今手元の教本を開いてみるとアドリブの上達にはまず一度思い切ってでたらめでも良いから挑戦してみてそれから基礎となる技術を徐々に身に着けて行くべきである・・・と書いてある。つまりあまり几帳面の人には向いてなく、どちらかと言うと間違いを恐れずに果敢に挑戦する“いい加減な人”に向いているようである。
 この見解に私も同感であるが具体的にはやはりコードをよく理解する事がまず求められると思う。そしてもう一つはメロディを崩してかっこよく演奏するいわゆる「フェイク」が重要ではないか。フェイクとはだます、こじつけるなど余り良い意味はないがジャズに関してはこのメロディを適当に崩す事が大変重要な課題となる。
 自分自身の経験からしても最初は何も教えられることないままともかく32小節のソロを義務付けられたのがそもそもの始まりである。最初は何を吹いているか分からなかったが次第にフレーズがまとまってくる。そして数か月後には立派にサマになってきたのである。「アドリブの第1歩は恥と挑戦」はやはり正しかった。

         
第190回 朝のしじまに

  ジャズの曲に”In the wee small hours of the morning”と言う曲がある。ジャズの曲は32小節が普通であるがこの曲はたった16小節と短い。ミュージカルや映画には関係なく、フランクシナトラが歌ってヒットした。ジャズ曲としては比較的新しく、1955年に作られたが大変味わいがある佳曲で私もライブで時々演奏する。
 意味は大体以下の内容である。
   夜も深まって静まり返ったころ
   まわりのすべて世界が深い眠りにおちているのに 
   羊を数えるなんて思いもせず
    ひとり眠れずあの娘のことを考える

           (村尾陸男著ジャズ詩大全より)
 “morning“とあるが夜明けではなく真夜中の朝方と言う意味である。
 私個人はそんな色っぽい歌詞には全く無縁であるが 最近朝方目を覚ますと何らかの曲のメロディやコードが浮かんでくることが多い。思い起こす曲は必ずしも愛唱曲ではない。時にはすぐ忘れたいような曲が頭にこびりついて離れない時もある。しかしそうこうしているうちに自然に再び眠りに入って行く。
 時には曲ばかりではなく、エッセイの内容だったりすることも良くある。だから朝のしじまの眠りからちょっと醒めた時の発想は大切なのだ。まあ時には取るに足らない下らない事柄もあるが一般的にはそう捨てたものでもない。In a small hours of morningの発想がエッセイに発展した日は何だかとても気持ちの良い1日となる。  

第189回 ソロが長すぎる

 ジャズは元々ダンス音楽であった。客はジャズ演奏をバックにダンスを楽しんだのである。従ってダンスバンドは客が踊りやすいよう、色々な音楽を短時間にまとめて客に提供した。余り長すぎると踊るのに疲れてしまうからである。その代わり曲と曲との間隔も短く、次から次へと曲を変えて演奏を行ったのである。
 当時は音響システムもSPレコードであり。レコード片面の時間はわずか2,3分であった。その範囲内に納めないとレコードは売れなかった。しかしLPレコードの開発に伴い、片面の演奏時間は画期的に伸びて片面で30分以上も可能となった。曲数も沢山収納できるし1曲の演奏時間も長時間可能となったのである。
 それに呼応して劇的に状況が変化したのはモダンジャズの誕生による。ジャズはそれまでの“踊る音楽”から“聴く音楽”に変貌し、奏者は技術の粋を駆使してソロの技巧を競い合った。当然演奏時間も長くなり、プレーヤーは延々とソロを繰り広げる。音響技術の発展とも相まって長時間のソロもLPレコードに載せて人気を博した。
 しかし皮肉なことにこうした演奏の長時間化がジャズの人気を低迷させる一因ともなったのである。勿論名手のソロは聴きごたえがある。しかし常に長いソロが良いとは限らない。いたずらに長いソロを繰り返すライブに客足が遠のくのもごく自然である。ジャズ奏者はソロを短めにしてコンパクトに曲をまとめる努力も必要ではないだろうか。

         
第188回 著作権について

 著作権は作曲者や作詞者の権利を守るために制定された法律であり、その権利は著作権協会{通称JASRAC}によって守られている。作曲者作詞者とも死後50年間は無断で演奏することはできない。著作権料を支払う事によって演奏が許されるのである。通常は演奏する場所、つまりライブハウスで毎月支払う形が一般的である。
 実際には日本は敗戦国のため曲によっては60年と言う曲もある。また作曲者が第3者に権利を売り渡すとその権利が譲渡されてから50年となるので作曲者の死後50年以降も著作権が継続することもある。ジャズの作曲やピアニストとして活躍したファッツワラーはその典型で曲の多くが売り渡されたため死後50年を超えた現在でも著作権は継続している。
 著作権の支払いについては過去度々訴訟問題に発展しておりJASRACとの訴訟に敗れて廃業する羽目となってしまった店は全国で枚挙にいとまがない。それだけ著作権協会は強力な団体だという事である。しかし曲がなければ演奏はできない。確かに作曲者、作詞者の権利は大変重要な権利であり、厳しく守らなければならないだろう。
 所で北浦和ペントハウスと言う店は普段は「酒場放浪記」でも紹介された人気居酒屋であるが火、金曜日はジャズライブを行う。但しこの店では著作権に抵触しない曲だけを演奏する。今でも厳格に守られている。橋はトロンボーン松本とのデュオで1月30日にこの店に登場する。曲は限定されるが演奏自体はのびのびと行っており、聴衆のノリも極めて良い。  

第187回 音楽の3要素

 学校で習った「音楽の3要素」とはメロディ、リズム、ハーモニーである。確かにこれらは欠かせない要素だ。しかしこの3要素だけでは表現できないサムシングがあるように思える。そしてそのサムシングが音楽の魅力を決定づけているのではないだろうか。これはクラシックにもジャズにも通じる事だろう。
 そのサムシングを私は「テイスト」ではないかと感じている。この「テイスト」こそ、演奏者やオーケストラのアイデンティティを表す最も重要な要素だと思う。指揮者にしろ、ソリストにしろ、皆この「テイスト」づくりに命をかけていると言っても過言ではない。特にジャズの場合この傾向が強いように思う。
 私が「テイスト」を音楽に感じ始めたのはジャズを始めてからであった。中高生時代には厳しい指導者の元で音符を正確に吹くことだけを日々追っていたのでテイストもへったくれもない。ただひたすら音符を追うのみであったのだ。大学に進み、ジャズを始めてから色々な奏者の演奏を聴くにつれこの「テイスト」の魅力に次第にはまってきたのである。
 惜しいのは小中高校の音楽の授業ではこうした3要素以外は全く教育されなかった。本来ならば最も重要な事柄が音楽教育からすっぽり抜けていたのである。ただ3要素があるという事や作曲者の年代などを物理の元素記号のように学んでいたのは悔やまれる。奏者によるテイストの違いの聴き比べなどが情操のアップにつながったのでは、と痛切に感じている。
         

第186回 ライブハウスの良し悪し

 クラシックでは良く「コンサートホールは楽器の一部である」と言われる。確かにそうだろう。音が重視されるのが音楽なのでそれを演奏する場所も音の良し悪しには大いに関係してくる。ジャズの場合は演奏する場がコンサートホールではなくライブハウスであることが多いのでライブハウスの良し悪しは演奏を大いに左右する。
 ライブハウスはそのものの良し悪しもさることながら演奏者との相性が第一である。これにはハード面とソフト面がある。前者ではライブハウスの立地、音響、器材類(楽器を含む)、ステージの広さなどがある。ソフト面と言うのは難しいが要するに客種や店の雰囲気などだろう。店主の性格なども大いに関係するかもしれない。
 ハード面で最も気になることはやはり楽器だろう。店に備え付けの楽器で一番重要なのがピアノである。中にはジャズを専門としないライブハウスではエレピしかない店もある。やはりピアノであることが望ましい、できればグランドピアノであれば申し分ない。更に最低限調律だけはきちんと行われた楽器であって欲しい。
 ソフト面で最も重視されるのは店の雰囲気である。客種はその店に培われたものである。店主があまり口うるさくてもいけない。私個人の好みから言えばやはりじっくり我々の演奏に耳を傾けてくれる客がベストだ。さらに適宜拍手など戴けたら言う事はない。尤もこうした客はバンドが育てるものでライブハウスの責任ではないかもしれない。  


第185回 素読(そどく)の教え

 江戸時代の教育の一環として素読(そどくまたはすよみともいう。)が必須科目であった。これは論語などの難しい本を皆で音読するものである。勿論小さい子供に意味など分かるわけがないがそれでも音読を日々重ねる。こうしているうちに自然と意味が理解できてくる、というやや乱暴な教育方法である。がしかしこの素読はかなり深い意味を持っている。
 読書にはアルファ読みとベータ読みがあり、前者は知っている事に関する著作を読むことに対し、後者は全く未知のことを読む技術である。つまり知っていること、昨日の野球の結果などはアルファ読みであり、社説などはベータ読みということになる。今大学生といえどもアルファ読みばかりでベータ読みのできない学生が多いらしい。
 ここからはジャズの話になる。一般的に譜面を読んで演奏するのはアルファ読みの読書に匹敵する。それに対しアドリブはベータ読み手法でなければできないのだ。つまりある程度の想像(及び創造)力がないとアドリブはできないことになる。アルファ読みを突き詰めると自然にベータ読みができるという訳ではない。ここでジャズを志す人は悩むのである。
 ではどうしてベータ読みのアドリブができるようになるか?この秘訣が冒頭に申し上げた「素読」にある。つまり、譜面を読む練習から離れて一見非効率的だが耳で聴きながら自分のフレーズを積み上げていくと言う訓練が必要となる。それに対しての技術的裏付け、コードの解釈とかフレージングは後からついてくる。これがジャズの「素読」システムである。
         
第184回 “教え魔レッスン”の弊害

  私がまだゴルフに凝っていた頃、ゴルフ練習場に行くと良く“教え魔”に遭遇した。初心者らしき人の後ろに立って「アドレスが前かがみ過ぎる。」「バックスイングで肩が回ってない。」「ボールを良く見ろ。」「インパクトでは左の壁を作れ。」等など。ゴルフ雑誌から抜け出たような言葉を浴びせ続けるのである。
 楽器の場合も良くある。くわえ方がどうのこうの、指の形がどうのこうの・・・との忠告は必ずしも間違ってはいない。しかしレッスンとは単に「欠点を指摘する」ことではなく、全体的にレベルアップを図ることなのである。だから「教え魔」のように気づいた点を片っ端から指摘するだけでは体系的な進歩は望めない
 教えられる側から観てもそうだ。以前ビッグバンドで毎回コーチを変えて教えを乞うたことがあった。皆日本で一流の錚々たる顔ぶれのコーチであった。教えられたことはなるほどと思うのだが毎回コーチによって指摘が変わり、ある時は正反対の表現となることもあり、生徒(バンドメンバー)は訳分からなくなる。一流のコーチにしてもこれである。
 従ってレッスンはできれば単一の人に継続的に受けることが理想である。教える側からすると「今この生徒には欠点が数々ある。その中で今改善すべきことは何か?」を考えるのだ。そこへきて第3者の教え魔が「あれも良くない、これも良くない」と口出しするとレッスンはめちゃめちゃになる。「教え魔は百害あって一利なし」である。  

第183回 メインストリーム・ジャズとは?

 1930年代、スイングジャズの衰退とともにビッグバンドで活躍してきた奏者が中心となってモダンジャズでもなくデキシーでもない新しい感覚のジャズが生まれた。これがメインストリーム・ジャズである。ビッグバンド出身のプレーやーが中心であり、譜面も読めてアドリブも上手いベテラン奏者が揃って活躍したのである。
 こうしたジャズをかつてジャズ評論家の大橋巨泉氏は「中間派」という名前を付けたのである。氏ならではの感性が生きた上手いネーミングではある。しかしただ二つのスタイルを足して2で割ったという単純な概念ではなく、大きな流れとしてジャズの歴史の中でも数多くの名演が残されている。まさにジャズの宝庫なのである。
 代表的な演奏はプロデューサーのノーマン・グランツが立ち上げたJATP(ジャズアットザフィルハーモニック)というジャムセッションスタイルの演奏であり、全米やヨーロッパ、日本等でも大人気を博した。こうしたバンドは個人技が中心のグループだったので奏者の高齢化とともに衰退していったのだがその精神は未だに受け継がれている。
 中心的なジャズはモダンに移行したとはいえ、若手奏者の台頭もあり、このジャンルの演奏は今でもメインストリーム(主流)を保ち続けているのである。こうした状況を踏まえて今回ミントンハウスでメインストリーム・トリオと言うグループを立ち上げて初ライブを行うこととなった。私のライフワークとして演奏を続けて行きたい。
         

第182回 楽友の死を悼む

  日本中が季節外れの猛暑に見舞われたある日、私の長年の楽友である村井忠一氏が亡くなられた。彼とは50年以上の長きに亘りBig18というバンドをコンビで支え続けてきた。彼がバンドを代表するバンマス(バンドマスター)で私が音楽的なリーダー役のコンマス(コンサートマスター)を務めてきたのである。
 その後数年前に私はコンボ活動重視のためビッグバンドを止め、彼はビッグバンド活動を続けていた。丁度翌日にバンドの定期演奏会を控えた前日の朝玄関わきで倒れて帰らぬ人となった。前々からがんと闘ってはいたがその10日前に会った時は顔色もよくラッパを元気に吹いていたので「もうすっかり完全復活ですね!」と安心していたのである。
 彼のすごい所は単にトランペットが上手いだけではなく、バンドの統率力、膨大な譜面の管理、そして何よりもプロアマを問わずミュージシャン仲間の人脈の豊富さである。業界では特別な存在として一目も二目もおかれている。今回の定演でのゲストは「ピンキーとキラーズ」の今陽子氏であったが毎回定演では著名なプロ歌手を招いている。全て彼の力による。
 “惜しい人を亡くした“は余りに月並みである。哀悼の意を惜しまないが私は別の感慨を抱いている。ビッグバンド以外にも演奏の幅を広げており、充実した音楽生活の真っ只中での急逝。これはまさに音楽に命を捧げた彼にとって理想的な逝き方ではないか?かっこ良すぎである。村井さん、後から行くので天国でのセッション、待っていて下さい!  


第181回 日本のジャズの生い立ち

 ジャズは言うまでもなくアメリカで生まれた音楽である。ジャズに限らず文化の伝播には何か特殊な要因が加わる。例えばジャズのヨーロッパへの伝播はアメリカで差別に悩まされた黒人が差別のないヨーロッパに移住したことがきっかけとなった。ヨーロッパに伝わったジャズはフランスなどの知識人にもてはやされて一挙にポピュラーになったのである。
 一方日本にジャズを伝えたのは戦後“進駐軍”であった。彼らの故郷のジャズをベース内のクラブ等で演奏しそれがやがてベース近隣のバーやキャバレーでも演奏された。そして次第に日本全土に広まったのである。私の故郷横須賀はたまたまそのベースがあったために市中にはジャズが溢れていたので私は小さいころからジャズに接することができた。
 日本人の演奏者の先陣を切ったのは戦時中軍楽隊で楽器をマスターした人たちであった。彼らは良いギャラにつながるジャズを急速にマスターしたのである。特に戦後の日本のジャズ振興にかかわったミュージシャンは殆どが軍楽隊出と言ってよい。今のように音楽学校などない中で彼らは必死に耳で覚えて腕を磨いたのである。
  こうして進駐軍からスタートしたジャズはその後世代交代とともに新しい形のジャズに変貌していく。現在では国内の音楽学校や渡米して腕を磨いた若いミュージシャンが日本のジャズをリードしている。各自の演奏技術も大幅に進歩しているのは間違いない。しかし我々は常に先人が苦労してマスターしたジャズの真髄を忘れるべきではないと思う。
         

第180回 ユーミンと相模線

  「相模線」は神奈川県の県央を縦断するローカル線である。一応JRなのだが単線で10年前くらいまで電化もされていなかった。そのため電化前は駅に着くとドアは手で押し開けたものである。今でも電化されたとはいえまだドアは客がボタンを押さなければ永遠に開かない。私の友人にはドアの前で待っていても開かずそのまま乗り越した人もいる。
 単線の宿命で2駅か3駅ごとに入れ替えがあるので待ち時間がやたらと長い。昔は相模線をもじって余り待つので「しゃがみ線」などと揶揄されていた。いつまでたっても来ないのでしゃがんで待っていたからである。この電車は茅ケ崎から県央を縦断して橋本が終点である。更に時にはその先の八王子まで直通で1時間とちょっとで行ける。
 ここでユーミンの登場となる。彼女の実家は八王子の古い呉服屋さんで彼女はそこのお嬢様だった。若い頃は良く八王子から茅ヶ崎に通っていたらしい。茅ヶ崎のサーフショップに入り浸っていたそうである。その途中で相模線の車窓から外を眺めていたのだろう。途中寒川のあたりは農家が多く花の栽培も盛んだった。
 彼女が作った“赤いスイトピー”は松田聖子が歌い大変ヒットした。この曲は寒川近辺の車窓から見えたスイトピー畑からインスピレーションを起こして作ったそうだ。花畑の反対側には相模川が流れ、遠くには、富士山、大山、丹沢がそびえている。最近その事を知ってからは何だかこの辺鄙な相模線に愛着を感じ、頻繁にこの線を利用している。  


第179回 スキャットって何だ?

 スキャットとはヴォーカリストが“シャバデュビデュバ”のように意味のない言葉でアドリブフレーズを歌う事である。この起源は古く1920年代ルイ・アームストロングが彼のホットファイブの演奏の中で最初に歌ったとされている。今年はスキャット生誕90周年となる。曲は“ヒービー・ジービース”という曲で私も学生時代よく演奏した曲である。
 この中でヴォーカルソロ16小節の後数小節ほど中断し、スキャットが始まる。そしてまた歌詞のあるヴォーカルに戻るのである。この理由は諸説ある。歌詞を忘れた、または歌詞カードが譜面台から落ちた…など。私は前者をとる。彼は歌詞カードなんか見ていなかったと思う。それに彼なら歌詞を忘れるという事は大いにあり得ると思っている。
 しかしその後この歌い方がジャズで定着するようになった。最初に我々の耳に入ったのはイレブンPMという番組のテーマ曲であった。このテーマミュージックはインパクトがあった。その後由紀さおりの「夜明けのスキャット」がヒットし、スキャットはポピュラーとなった。今ではジャズ歌手を中心に広く歌われている唱法である。
 このスキャット、メロディはアドリブで歌われる。つまり曲のコードやアドリブフレーズづくりを学ぶ必要がある。一般的には大変難しく、良く聴かれるスキャットはただでたらめに歌われていることも少なくない。スキャットの第1人者、ルイ・アームストロングのようにはいかないまでもきちんとしたスキャット唱法を身につけてトライして欲しい。
         

第178回 規定とフリー演技

  昔体操やフィギュアスケートでは種目が規定とフリーに分かれていた。つまり規定では完全に技術だけを審査対象とし、フリーでは選手が自由に振付を考えていたようである。だから規定と言う種目はフィギュアに例を取ると氷上に描かれた図形の通りスケートを走らせる・・・と言うような競技であり、大変地味で退屈な種目であった記憶がある。
 その内規定は廃止され、体操では鉄棒、床と言った演目別の競技となった。フィギュアではショートプログラムとフリーから構成されている。これによって観る方からすると格段に面白くなった。各演技は普段の規定の練習結果の集大成であり、単に技術的な面だけでなく技の構成や芸術的観点まで幅広い表現が求められる。
 翻って楽器の場合はどうか?教室レベルの話では大半が規定のロングトーンやタンギング、運指などの基礎練習が主体となる。ただやはり音楽であるからフリーに当たる曲の演奏も重視される。普段規定では余り冴えなかった生徒がフリーになると途端に素晴らしい感性を発揮することもある。逆に規定は上手いが曲になると・・・と言う生徒もいる。
 一般的な音楽教室ではどちらからと言うと規定科目が中心のレッスンが多いように思われる。私はなるべく実戦で役立つようなレッスンを心掛けている。つまり人前で演奏する場合の心構えや演奏のポイントをなるべく生徒に伝授したい。そろそろ我が教室からも規定のみならずフリーが充実し、独立したライブのできる人材が育ちつつあるのは喜ばしい事である。  


第177回 セッションの功罪

  セッションというのは客がホストバンドの伴奏をバックに演奏に参加できるシステムのことである。ホストバンド側から見ると集客の手段となる。今バンドが自分のバンド演奏だけで客を集めるのはプロといえども大変難しい。そこでこのようなシステムがポピュラーとなった。一方参加者からすると生バンドをバックに演奏が体験できる良きチャンスとなる。
 現実的にはホストバンドが最初に自分たちの演奏を披露し、第2ステージに客の参加者をステージにあげる事例が多い。参加者は予め楽器と名前を記入しホストはそのメンバーを見つつ演奏メンバーを組み合わせる。参加者の中にはドラムやベースの人もいるので必ずしもホストバンドをバックに演奏できるとは限らない。相手が誰になるかは運を天に任せるのだ。
 時には大変上手い管楽器奏者がすごく下手なピアノと共演・・という事もあり得るしその逆もある。従ってホストの組み合わせの才覚がセッションのカギを握っていると言えるだろう。参加者からすると気持ち良く演奏できる時とそうでない時がはっきり分かれる。参加者としては予めホストバンドのスタイルや力量を知って参加した方が無難である。
 従って純粋に客としてジャズを聴こうと思ってきた方々は多くの場合失望を味わうこととなる。玉石混交のライブなので腕試し演奏に付き合わなければならないからだ。自分の場合、セッションに誘うのは生徒や楽器経験者のみとし、自分のジャズをじっくり熱心に聴きたいジャズファンはまた別の機会をお勧めすることにしている。


第176回 吹奏楽の魅力

 自分の音楽の原点は中学3年のブラスバンド時代にさかのぼる。私の音楽人生の中で胸の内にはブラスバンド時代中、高、大8年間の郷愁が色濃く残っている。毎日毎日良く練習したものである。中、高は軍楽隊出身の猛烈コーチに仕込まれた。その時は別にブラスバンドが楽しくて仕方ない…という事はなかったが過ぎ去ってみるとむやみに懐かしい。
 最近私の生徒さんなどが所属する吹奏楽団の演奏会を聴く機会が多い。若い人たちが精一杯演奏する姿には感動を禁じえない。昔の自分の姿に重ね合わせてコンサートを大いに楽しんでいる。先日も地元の市民吹奏楽団の演奏を聴く機会があった。私はやはりあの吹奏楽のサウンドが芯から好きなんだなあ・・・と痛感する。
 ただちょっぴり不満がないわけでもない。昔は定番だった幕開けの行進曲がない。アニメソングや映画音楽がやたらと多い。クラシックの大曲は影をひそめて場内は誠にハッピーな雰囲気が漂う。これはこれで良いとは思うのだが何かちょっと物足りない。少しは骨のある大曲、すなわちクラシックの名曲も聴きたいと思うのは私一人だろうか。
 メンバーは若い女性が多い。コンサートに際しての選曲はメンバーで構成される「選曲委員会」なるものがメンバーの意見を集約して決めるらしい。どうしても自分たちの好きな音楽に偏ることになる。従ってアイドルのPOPSやアニメソングが上位を占めることとなる。ジジイの少数意見などは無視されるのは仕方ないだろう。それは承知の上でアンケート用紙にはジジイの少数意見を書かせていただいた。  


第175回 曲のキー

  キーとは曲の音の高さのことを表す。クラシックの場合は“アレグロ変ホ長調”などのように曲のテンポとキーが指定されている。しかしジャズの場合は何のキーでやっても基本的には構わない。しかしやはり暗黙の了解やキーの適不適があるのでキーの選択はかなり慎重に行う。
 何故キーを変えるのか?色々理由がある。先ずはその曲にふさわしい音の高さと響きがある。また楽器によっても音の高さは異なってくる。私の場合、サックスでもテナーとアルトではキーを変えることが多い。一番鳴りが良く、聴いていて不自然でない音程は楽器によって異なるからである。
 またライブなどで演奏する場合、同じキーが続くと変化に乏しくなることがある。その場合は曲が変わったら違うキーの曲を選ぶ。キーばかりでなくメジャーとマイナーも使い分ける。そうすると聴いているお客様も安心して聴ける。それとは別にヴォーカルのバックはヴォーカリストの声の高さに合わせてキーは変えなければならない。
 曲のキーは何でも構わないので参加自由のセッションではチャーリーパーカーのような超絶技巧の奏者はわざとすごく難しいキーで演奏したと言われている。つまりへたくそな奏者の締めだし対策である。しかし一般的には余り難しいキーはバックのプレーヤーに嫌われるのでなるべく一般的で簡単なキーを選ぶ事が奏者同士のエチケットであろう。

第174回 ゲストを招いての演奏

 毎月茅ヶ崎マリーでは我々カルテットの定例コンサートを毎月行っている。そこには2,3カ月に一度東京から一流プロのゲストを招いている。トランペットの下間氏、クラリネットの後藤氏、テナーサックスの田辺氏や右近氏、トロンボーンの松本氏等である。いつも彼らのお蔭で熱い演奏を繰り広げている。
 これらのゲスト招待のメリットは数々ある。まず第1は観客サービスである。いつも我々だけの演奏ばかりでなくゲストを交えることによってより新鮮味のあるライブが期待できる。現にライブを招くときは会場も大入りになることが多い。観客からはいつも「茅ヶ崎でこんなすごいプレーヤーの演奏が聴けるとは思わなかった」などの声も聞こえる。
 第2に我々招くバンドの立場からのメリットである。当然ゲストサイドからの指定曲もあり、初見の譜面にも対応しなければならなくなる。またフロントが二人になるため、構成上の準備も必要である。必ずしも事前練習はできないのでそれだけに常に「真剣勝負」となる。これが緊張感のある好演をもたらすことになるのだ。
 逆にデメリットであるがゲストが来ない時のステージがやや寂しく感じられることがある。ゲストが来ない時の客数が極端に落ちるようでは何のためのゲストだか分からなくなる。従ってゲストなしのステージでは我々バンドとしてのカラーを確立し、より一層充実した演奏を心掛けなければならない。いつになっても向上心あるのみである。  


第173回 クラシック、ジャズの二刀流

 ジャズマンの中にはクラシックの曲を演奏するプレーヤーもいる。モーツアルトの「クラリネットコンチェルト」のベニーグッドマン、ハイドンの「トランペットコンチェルト」のウィントンマルサリス等など。これらの曲は譜面的にはそう難しくもないので(彼らにとっては)無難に演奏しているがクラシックとしての評価は別問題である
 それに引き替えクラシック、ジャズ両ジャンルで堂々と巨匠の仲間入りをしている人物がいる。アンドレ・プレヴィンである。彼は指揮者としては超一流でロンドン、ロサンジェルス、オスロなどのオーケストラで音楽監督を務めた。最近(2009年)ではN響の首席客演指揮者も務めた。
 一方バップ系のジャズピアニストとしてはシェリーマンやレイブラウン等と共演して多くの録音を残している。またクラシックのピアノ演奏でも数々の名演を残しているのだ。そればかりではなく映画音楽や作編曲にも手腕を発揮するなどその才能は留まる所を知らない。驚くべき多才なミュージシャンである。こういう人を「天才」と呼ぶのだろう。
 彼はユダヤ系ロシア人の家庭に生まれてアメリカに亡命して才能が開花した。ただこうした多才な人に良く見られるように大変女性遍歴も華やかで離婚経験も豊富である。しかしこれだけの素晴らしい業績を残した天才ミュージシャンであれば多少の女性関係には目をつむるべきであろう。

第172回 今の曲、何ですか?

 最近良く他人のライブを聴きに行く。すると全くMCのないライブが多い。特にモダン系のライブでは曲目の紹介など一切ない。どう考えてみ不親切だと思うのだが演奏者にしてみれば曲目解説はダサいという事になるらしい。次から次へと曲が演奏されてしかもアドリブからスタートすると何の曲やっているのか皆目分からない。
 以前演奏者に「今の曲は何という曲ですか?」と訊いたら「曲目?そんなの関係ないよ。」と言われたことがある。曲名と作曲者くらい紹介しても罰は当たらないだろう。もしとても良い曲だと思ってどこか他のライブでもリクエストすることもあり得るのではないだろうか。
 私は曲目紹介も立派な観客の啓蒙だと思う。ジャズを好きになってもらうためにはそうした基礎知識はあった方が良いのではないか。歌詞の詳細までは必要ないが恋の唄であっても失恋の曲か、ハッピーな曲かまたは恨み節かによって歌い上げ方も変わってくると思うのだ。解説しないのはミュージシャンが知らないからできないのではないかと疑いたくなる。
 聴衆無視のやり方はアメリカの一流ジャズミュージシャン、例えばマイルスデビス等のやり方に影響を受けているのであろう。彼らがそうするのは一向に構わないのだがジャズ後進国日本ではもっと丁寧なジャズ解説があってしかるべきであり、そうした解説が新たなジャズファンの開発につながるのではないだろうか。  


第171回 投げ銭ライブ

 投げ銭とは辞書によれば『芸人や乞食にお金を投げ与えること』とそっけない。通常ライブはライブハウスが主催し、客のチャージからミュージシャンへのギャラが支払われるのだが投げ銭ライブでは直接客の献金がミュージシャンの収入となる。極めて明確だが不安定な所得である。
 ニューオリンズでは目抜きの通りでは投げ銭ライブが至る所で行われている。演奏は千差万別であるが概してレベルは高い。場所によって投げ銭の収入は大きく違うのでプロのミュージシャンたちの場所取り合戦は熾烈を極めるらしい。客も慣れたもので良い演奏をするグループには大勢の観客が集まり、献金もバカにならない額となる。
 日本では都市のターミナルや公園等野外での演奏は騒音の問題で原則的に禁止されている。昔は井之頭公園が投げ銭ライブのメッカとされていたが今は演奏できない。その代わりに上野公園が解放されている。解放とは言え出演するためには許可証を取得し、事前に届け出なければならない。
 最近は野外ではなくレストランや居酒屋での投げ銭ライブが盛んである。店からすれば場所を提供するだけでミュージシャンのメンバーやその客のオーダーが期待できる。ミュージシャンサイドからすれば客の反応がダイレクトに感じられるので演奏だけでなく、選曲や口上(MC)も含めて格好の腕試しの場となる。

        

第170回 ミュージカルの魅力

 私はこれまで余りミュージカルには興味がなかった。どう考えても一人の人間が歌も踊りもお芝居も・・・なんて無理に決まっている。というか食わず嫌いであった。これはクラシックのオペラに対しても同じ思いで見ていたのである。何となく学芸会的なイメージが強かった。
 その思いは今でも基本的に変わらないがただ、今度ニューヨークで本場のミュージカルを観て若干観方が変わったことを認めざるを得ない。日本の場合はまだ役者が歌を勉強して演ずるかシンガーが演技と踊りを勉強して、と言う形が多いがニューヨークの場合、ミュージカルをやるために生まれてきたような役者が数多くいるという事だろう。
 今回観たのは“ファントム”(邦題オペラ座の怪人)と“シカゴ”であった。オペラ座ではステージ上だけではなく、ホール全体を駆使するようなスケールの大きい演出に胸打たれた。さすがニューヨークである。ただ内容的には私個人としては“シカゴ”により大きな感銘を受けた。皆一様に歌もダンスもそしてプロポーションも目をみはるばかりである。
 ブロードウェイではミュージカルの劇場が軒をつられており、どこも皆大盛況である。役者もオーディションにもまれて優れた人が勝ち残っていくのであろう。こうした状況を目の当たりにすると日本のミュージカルはニューヨークのレベル追いつくのはまだ相当の歳月を要するのではないだろうかと悲観的な印象を受ける。さすがニューヨークである。   


第169回 3拍子の恐怖

 前にこのコラムでウイーンに留学したバイオリニストが現地の教師にワルツの乗り方について徹底的に指導を受けたと書いたことがある。概して我々日本人は3拍子に弱い。ウィンナワルツの軽快なノリは大変難しく、下手をすると“じんた”のような泥臭いリズムになってしまうのだ。
 私の母は生前カラオケが好きで我が家に来ると良くカラオケに誘ったものである。彼女が必ず歌う歌に「知床旅情」があった。この曲は「しれー・とこーの・みさき・にーー」と伸ばせば3拍子になり、加藤登紀子は無理でも森繁久彌程度の感じにはなる。しかし母は「しれとこーのーー・みさきにーー」と伸ばすのでまったく3拍子にはならないのだ。
 ジャズにもジャズワルツと称してアップテンポの3拍子の曲がある。Sameday my prince will come (いつか王子様が)や My favorite things (私のお気に入り)などである。初心者がこういう曲を選ぶとよく途中から拍子が取れないことが多い。CMなどにも使われている人気曲だけにやりたがる人は多いが余りお勧めできない。
 何故日本人は3拍子が苦手なのか、一説では西洋人のルーツは騎馬民族であり、馬に乗って軽やかに歩くときのリズムは3拍子だそうである。それに引き替え、我々日本人は農耕民族であるからそうしたリズムとは無縁で田植えのリズムは完全に2拍子になっているのだ。こうしてみるとリズムはやはり民族のルーツと密接に結び付いているのだろう。


第168回 楽器歴の還暦

 私が楽器を始めたのは1956年の春であった。今年でちょうど60年になる。兄がクラリネットを吹いていた影響で小学校の時から楽器をやりたいという夢は常に持っていた。それも管楽器を。たまたま中学校にブラスバンドが新設されることになり、迷わず応募したのである。
 その頃から自分は何となく「将来人前で楽器を、それもジャズを演奏するんだ!」という強い確信があった。ジャズを聴きたくてキャバレーなどにも裏から入れてもらい、専属バンドの演奏を一生懸命聴いたものである。校則は厳しかったので学校に知れたら退学は間違いなかっただろう。
 楽器を始めて順調に上手くなったとは決して言えない。毎回おっかない軍楽隊出の先生からコテンパンに叱られながら、いつ辞めようかと思いつつ練習を続けたのである。今の指導者から考えたら信じられない暴言、暴挙4であったが当時はそれほど異常だとは感じなかった。
 かくて過ぎ去ってしまえばあっという間に楽器歴還暦を迎え、昨年は何とか初CDを発売することができた。そうなると夢は次の古希に向かう。あと10年後なんて先のことは誰も分からないがその時にも日々元気にライブ活動ができていればありがたい。更にもう少し今より上手くなっていたらいう事はない。楽器歴古希に向けてのささやかな夢である。
  




第167回 ジャズ漫画「ブルー・ジャイアント」

 漫画の世界にもジャズをテーマにした作品が遂に登場した。ビッグコミック誌に連載されていた「ブルー・ジャイアント」という漫画である。昨年のコミック単行本の売り上げ第5位と言うから大した人気漫画である。
 主人公は仙台に住む高校生で、独学でテナーサックスを学び、一歩一歩悩みながらも進歩を重ねていく。週刊コミック誌は毎回ストーリーが完結する形を取るため全体的には一貫したストーリーはないが河原での練習、先輩ミュージシャンとの出会い、ライブへの挑戦、そしてほのかな恋などが多彩にちりばめられている。
 作者の石塚真一氏はアメリカに留学経験があるが音楽大学ではない。漫画は28歳の時に「漫画の描き方」と言う本から勉強し始めて漫画家として認められてきたという苦労人である。主人公のジャズへの取り組みもそうした経験に裏打ちされている。ウェイン・ショーターや上原ひろみとの対談もしているところを見るとかなりジャズへの造詣も深いのだろう。
 素直な感想であるが確かに作品的には注目に値するのだが私は漫画そのものに素直に入り込めないもどかしさを感じた。何だか飛び石の上をふわふわ歩いているようで本を読むというより観たという感じである。やはりしっかりと文字を追って行く読書じゃないと頭が受け付けないのだ。



第166回 ダンスとジャズ

 ダンスと音楽は切っても切り離せない関係にある。クラシックではバッハ、モーツアルトの時代からワルツ、ポルカ、メヌエット等など皆舞曲が基礎にある。交響曲のような鑑賞型の曲が中心になってもウィンナワルツのような形でダンス音楽も長く残ったのである。
 ジャズでも同様なことが言える。初期のジャズはダンスとは深くかかわりあってきた。特にスイング時代はビッグバンドをバックにダンスをすることが大流行した。しかしチャーリーパーカーやディジー・ガレスピー等によりバップがジャズの主役となり、ダンス音楽は次第に衰退していった。
 所が最近再びダンス音楽が復興の兆しを見せている。デキシーランドジャズやスイングジャズのバンドが復活し、彼らの演奏の前では多くの人がそれに合わせてダンスに興じる姿も珍しくなくなった。ダンスは人間の欲急であるから場と音楽さえあれば復活するのは自明の理である。
 私がジャズに最初に触れたのは大学のデキシーランドジャズ・バンドでありダンスパーティでテナー担当の私は見よう見まねでアドリブを模索しているうちにいつの間にかジャズに没頭していた。ダンス音楽演奏で得た収穫は常にスイング感のある演奏を心掛けた事である。私は今でもジャズとは「スイングすること」が第1と心掛け、踊れる音楽を意識している。 
 



第165回 ミュージシャンと体力

 ライブ活動と言うのは意外と体力を要する。大体ライブが行われるのは夜であり、終演後帰宅は終電間近になる。ましてや重い楽器を抱えているので満員電車では肩身の狭い思いをしつつ帰宅する。しかも連日のアルコールで不規則な食生活により生活習慣病にも脅かされる。
 知人の年輩ミュージシャンの中には最近転倒などによる怪我人が続出している。かくいう私も飲んで帰る途中楽器を担いで転倒したこともある。腰痛に悩まされているプレーヤーも多い。またミュージシャンの生活習慣病の割合は一般の人に比べてかなり高いのではないかと思う。
 昔私がジャズを始めた頃、六本木で練習しているとミュージシャンの中に「走ろう会」と言うグループがあった。彼らは「ミュージシャンは体力が必要」という事で練習前に六本木の街を走るのである。その当時は何やっているんだろう?と半ばあきれてバカにしたものだが今思えば至極尤もな活動だったと言える。
 「運動なんて百害あって一利なし」と否定的な見解のミュージシャンも数多くおり、それはそれで分からぬわけでもない。ただ、周囲に病人やけが人のプレーヤーが続出するとやはり体力作りは必要ではないかな・・・と痛感する今日この頃である。
 


第164回 バンドのマーケティング活動

 マーケティングとは「顧客ニーズを的確につかみ、販売促進努力を通じて(中略)市場開発を推進する企業活動」のことを言う。(大辞泉より)バンドもある意味では演奏を通じて顧客(聴衆)の満足度を高めて支持(収益)を得るという意味ではマーケティング活動が必要である。
 それには先ず自分たちの実力と方針を明確にしておく必要がある。市場で言えば我々はニッチ(隙間)を狙う零細企業である。であるからにはそれなりの販売戦略が必要となる。大手ブランドメーカー、つまり有名なメジャーアーティストとは選曲や音楽の方向性も当然変わってくる。
 所が周囲にはこのことを理解しないバンドが非常に多い。形だけメジャーな行き方を真似て自分たちの特性を忘れているのだ。例えば大御所のマイル・スデヴィスを真似てステージ上で曲目も言わずいきなり観客に背を向けて延々と演奏する。それはマイルスだったら許せるが一般のマイナーバンドが決して真似てはならないステージマナーの基本である。
 このエッセイでも何度か取り上げたが独りよがりの選曲や客のリクエストだけに頼って選曲するなどは避けるべきであろう。今ジャズは斜陽であると言われているがこういう態度では斜陽は当然だろう。一応ミュージシャンの片割れとして最低限のマーケティング活動を行うことによって、ライブでの閑古鳥は極力避けたいものである。
 



第163回 型から入れ

 良くプロスポーツを観ていると構えて立つた時から何となく風格を感ずることがある。力が抜けているのにどっしりと隙がない。それに引き替えアマチュアはどこか力が入っており、動作を始めると必ずフォームを崩す。パワーや力以前の問題として形が違うのだ。
 それと同じことが音楽の場合にも言える。最近はユーチューブなどでプロの演奏スタイルを目の当たりにできる。しかし私が楽器を始めた頃はテレビでは観られなかったので時々来日したミュージシャンを観てステージに出てきた時の姿を瞼に焼き付けて参考にしたものである。
 楽器の場合、勿論先ず技術の訓練から入るのは当たり前のことであるがこうした“型の差”を実感し、時には真似てみることも必要ではないか。私のレッスンルームの壁には全身を写せる鏡が付いており、時には生徒をその前に立たせて演奏する姿勢や力の入れ方をチェックする。
 一番肝心なアンブシュア(吹くときの唇の形)も自分で唇や喉の形を確認することがとても大切である。型は言われてみれば分かるのだが中々自分では気づかない点が多い。初心者に対しては譜面より先に演奏する時の型を教え込むのが最も重要ではないかと痛感している。


第162回 “サクスビクス”のススメ

ある老人ホームでリーダーの指示のもとに太鼓をたたいて運動する“太鼓ビクス”を取り入れた所、非常に若返り効果があったそうである。その秘訣はバチを振るう軽い運動とリズムをとるという右脳への刺激が程良い効果をもたらすためだそうだ。
そういう事であればサックスを吹くことによる“サクスビクス”はどうだろうか。サックスを吹くことは太鼓を叩いてリズムを取るよりも指を動かすことにより更に右脳を強く刺激する。それに加えて肉体的には心肺機能の向上や腹筋の強化が同時に得られるのだ。
“太鼓ビクス“ではリズムをとるという行動と運動が結びついて効果が上がるわけだがサクスビクスでは更に唇の周りの筋肉の強化によるしわ防止や歯の刺激に寄る歯茎の強化など美容健康効果も期待できる。老人ホームだけではなく、若い女性にも魅力的だと思う。
しかしこうした効果は宣伝次第、指導者次第だろう。若いチャーミングなインストラクターが効果を提唱すればサクスビクスの生徒は増えるかもしれない。いずれにせよ残念ながらジジイのインストラクターでは何をやっても徒労に終わるのは明白である。
 



第161回 スイングジャズの復活

 ジャズはスイングジャズからモダンジャズ、モードジャズへと移行し現在では更に進化しつつある。しかしどうも行きつく所まで行ってしまったようで余り活発な動きはない。そうした中、ここにきてどうやら古いスイングジャズが復活の兆しを見せている。
その顕著な例としてニューヨークではスイング系のジャズコンサートが盛んである。その理由は3つある。一つは若い人たちにとって50年前のスイングジャズが新鮮に感じられる事、スイングダンスが復活した事、更にスーパースターの登場である。
特筆すべきはスーパースターのことだ。ブリア・スコンバーグという女性トランぺッターの人気がすごい。楽器が上手いだけではなくプロデュース能力にも長けており、もう1年先まで予約で一杯である。数年前関西のジャズフェスに来日したがまだ日本では余り知られていない。
ニューヨークジャズフェスではオールナイトで2日間ぶっ通しだが出ずっぱりだ。司会から楽器演奏、歌まで歌う。しかも“若くて美人”である。3拍子も4拍子も揃っている。こうしたスーパースターに触発されて若手のプレーヤーが続々登場している。誠に頼もしい限りだがこうした動きが日本に伝わるのはまだちょっと先なのかもしれない。


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