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横須賀オン・マイ・マインド

(横須賀のタウン誌 「朝日アベニュー」に毎号連載中のショートエッセイをそのまま掲載しています。)


第81回  神戸ジャズ祭
  10月5日の「神戸ジャズストリート」に初出演した。今回はマグノリア・ナチュラル・フレイバーズというゴスペル中心の人気デュオコーラスグループのゲスト出演であった。
 今や各地でジャズ祭が開催されているが神戸ジャズストリートはその草分け的な存在であり、今年で第27回目を迎えている。このジャズ祭の特徴は各会場にアコースティック・ピアノが設置され優れた音楽環境でジャズが楽しめることである。11箇所の会場は比較的接近しているものの傾斜地に散在する各会場を見て回るには神戸特有の坂道は覚悟しなければならない。我々は3箇所の会場で演奏した。会場はライブハウスありホテルありだが中でも神戸バプテスト教会は荘厳な雰囲気の中に独特な響きを持ち、ゴスペルにはぴったりである。
 今回はジャズストリートだけでなく前後の“付録”も大いに魅力的であった。前夜の西宮ライブには関西在住の旧友たちがどっと押しかけさながら同窓会の様相を呈した。また5日夜のアフターセッションでは地元の初対面の方々とのジャムセッションで日付が変わるまで大いに盛り上がったのである。音楽を通じて新しい友達の輪が広がりまさに至福のときであった。私をゲストに呼んでくれたマグノリアのメンバーには大感謝である。

第82回  ジャズに名曲なし
 「ジャズに名曲なし」とは良く言ったものである。そもそも名曲とは曲として優れているばかりでなく、時代や世代を超越し誰からも愛されるスタンダード性が不可欠である。クラシックではベートーベンやモールアルトを初めとして大作曲家の作品にはこれらの条件を満たしている「名曲」が数多く揃っている。
 しかしジャズは誕生してからまだ百年に満たない新しい音楽である。比較的広く愛されていると言われている「スターダスト」でも80年、「枯葉」は60年程度と誕生してからまだ日が浅い。更にスタンダード性自体も乏しい。私はライブではスタンダード物を中心に選曲している積りだが誰でも知っている曲ばかりとは限らない。ある人から見れば馴染みの薄いマニアックな選曲かもしれない。万人に愛されるジャズのスタンダード曲は案外少ないものである。
 しかしだからこそジャズをこよなく愛するのだ。ジャズ・ミュージシャンはありふれた食材(曲)を美味な料理(演奏)に変身させる料理人の役目がある。特にライブでは奏者と観客が一体となったジャズならではの醍醐味を味わえるのである。それだけにジャズライブでの観客の声援はさしずめ料理をぐっと引き締める「スパイス」の効果があるのではないだろうか。

第83回  ジャズ喫茶時代
 最近はドトール、スタバなど手軽なコーヒーショップが街に溢れている。私の青春時代は本格喫茶店が全盛であった。名曲喫茶、うたごえ喫茶、シャンソン喫茶など多種多様。ある意味では音楽文化の底辺を支えていた。
 私が入り浸ったのは水道橋の「スイング」というジャズ喫茶であった。神田川のほとりにある薄汚い店だったがコーヒー1杯70〜80円で好きなレコードを聴きながら何時間も粘ったものである。ここはトラッド系(古い)ジャズ専門で客もマニアが多い。変な曲をリクエストすると常連からじろっと睨まれる。最初は緊張しつつそっとリクエストしなければならない。
 ここでは週末になるとアマチュアのバンドが演奏した。客は耳の肥えたジャズファンばかり。いわば「アマチュアバンドの登竜門」だったわけである。私はジャズに接して1年目位、各大学混成バンドのクラリネット奏者でデビューした。トイレにはマニアの厳しい評論や意見の落書きが所狭しと書かれている。その中に「アンパン(当時の私の綽名)はイカしてる!」と言う落書きを見つけた時はトイレの中で一人ニヤニヤしたものである。
 ここで覚えたアドリブ奏法、ジャズの知識、名盤、ジャズ友など、得たものは多い。ジャズ喫茶が私の音楽人生の原点となっているのである。

第84回  季節のうた
 私はライブでなるべくその季節や世相に応じた曲を取り上げる事を心がけている。例えば4月のApril showers6月のJune night 9月のSeptember song等である。3月の”卒業写真“(ユーミン)や10月のAutumn leavesなども評判が良い。12月はおなじみクリスマスソングで大いに盛り上がったのである。
 だが1月は適当な曲が案外少ない。This could be the start of something big(これは何かでかいことの始まりだ)は題名としては景気がよいので時々演奏するが余りポピュラーではない。分かりやすく「1月1日」という童謡をジャズにアレンジしたりもするがこれはあくまで座興である。
 そんな中で年初にふさわしく昨今の世相にぴったりの曲がある。The world is waiting for the sunrise(世界は日の出を待っている)と言う曲だ。元々は1919年に作られたラブソングだがその後ベニーグッドマン等多くのプレーヤーがアップテンポで演奏しスタンダードナンバーとなった。
 特に1929年の世界大恐慌の時には不況脱出の願いを背にヒットした。今まさに昨年後半から世界を襲った大不況の真っ只中。この時代にぴったりの曲である。更にこの不況はすぐ回復する兆しもないので1月だけでなく今後当分演奏機会はありそうだ。

第85回  ジャズの歌詞
 ジャズの曲の中には楽器演奏用に作曲されて歌詞のないものやアドリブソロがそのまま曲として定着したものがある。しかし大半は原曲が唄物(ヴォーカル用に作詞作曲された曲)であり、歌詞がついている。
 歌詞には“Verse“と言って前段階の説明部分があり、本曲に入る。
verse部分は演奏が省略される事も多いがこうした意味合いを理解して耳を傾けると曲に対する思い入れも変わってくる。特に歌手にとって気持ちを込めて歌うためには歌詞の理解は必要不可欠である。
 我々楽器奏者にとってはメロディさえ分かれば歌詞は必要ない。しかし曲の意味を知って演奏した方がより味わい深い演奏を期待できるのではないだろうか。レスター・ヤング等ジャズの巨人達は楽器奏者でも歌詞を覚えていたと言う。私も彼等を見習ってなるべく曲の意味を理解してから演奏するよう心がけている。
 残念ながら歌詞の英語はかなりひねった内容もあり、乏しい英語力ではよく理解できない場合が多い。しかしありがたい事に私には「ジャズ詩大全」(村尾陸男著)という強い味方がついている。歌詞の意味だけでなく作者や曲の解説が事細かに載っている。私はこの全21巻を座右の書とし、演奏前に必ずページをめくるのである。

第86回  残心
 武道の世界で「残心」という言葉がある。辞書によれば「武芸で一つの動作を終えた後でも緊張を持続する心構え」とある。剣豪小説の果し合いの場面等で使われる用語である。
 この残心という考え方は武道だけに限らず舞踊や音楽についても通ずるものがある。例えばオーケストラの指揮者は曲が終わった後も曲の余韻に浸りながら数瞬そのままのポーズを保っている。しばらくしてから指揮者が指揮棒を下げると楽員も漸く緊張を解き大きく息をする。また舞踊でもジャンルにかかわらず踊り終えた後決めポーズをしばらく保つ。
 ジャズの場合も然り。但しジャズでは必ずしも指揮者がいるとは限らないのでお互いのメンバーが気持ちを一つにしてエンディングを迎える。フロントの奏者が残心の余韻に浸っている時に後ろの方で次の曲の譜面なんかをガサガサと探されると興ざめである。更にできることなら聴衆も気持ちを一つにして残心の余韻に浸ってくれれば言うことはない。尤もこれは演奏の良し悪しによるが。
 演奏は上手く行った、カデンツア(最後に自由なテンポの無伴奏で演奏するソロのこと)も決まった。最後の一音で消え入るように終わる。そのまましばし残心、やがて大きな拍手・・・これがまさに演奏者にとっての「至福の一瞬」となるのである。

第87回  ダンスパーティ
 「ダンスパーティ」何と懐かしい言葉だろう。学生時代はダンスパーティ全盛で少しでもジャズができれば皆ダンスパーティのバンド要員として引っ張りだこであった。週末になると必ずどこかでパーティがあり、特に年末は目の回る忙しさだったのである。
 ダンスバンドには演奏上のルールが3つある。まず第1は曲と曲の間隔を空けないこと。1曲が終わったら即座に次の曲を演奏する。最後はワルツを演奏し次のバンドが途中から同じ曲を引き継ぎ休む事なく演奏を続ける。第2はリズムのヴァリエーションである。ジルバ、ルンバ、マンボ、タンゴ、スロー等同じリズムが2曲続かないよう変化を持たせて選曲する。そして第3に踊りやすいテンポを正確にキープすること等である。
 こうした演奏経験から長時間吹き続けるスタミナやリズム感が養われると同時に数多くの曲を覚えさせられた。1年生からレギュラーメンバーに抜擢された私は楽器運搬等雑用にこき使われながらこうした諸点を先輩や上級生に叩き込まれたのである。
 またダンスパーティは当時ロマンスの生まれる絶好のチャンスであった。しかし「演奏に没頭」していた私はフロアに下りることさえなく、ガールフレンドをゲットすることができなかった。返す返すも残念である。

第88回  ジャズとPA
 PAとはPublic addressの略で公衆伝達のことを言う。つまり店舗内や駅などで広く情報を正確に伝えること、または劇場等での拡声装置のことを指す。近年アリーナのような広い空間でのコンサートが増え、また楽器もシンセサイザー等電気楽器が増えたのでPAの重要性が高まっている。
 ジャズの場合はライブハウスのような狭い空間での演奏が主なので基本的にはあまりPAを使わない事が多い。しかし広いホールでの演奏にはPA装置の助けを借りることになる。PAの役割は音量を上げることと同時に楽器間の音のバランスをとること、及び演奏者がステージ上で他の奏者の音を聴くことにもあるのだ。
 これらの操作は客席の後方に構えたPAエンジニアがコントロールする。演奏前には早めに会場に入り、入念にPAチェックする。PAチェックの難しさはステージ上の演奏者が客席側から聴いた自分達の音を正確に把握しにくいことだ。しかもチェックは空席時に行うのでお客様が入った時の響きは違ったものとなる。
 ジャズの場合はロックバンドのように大音響を響かせる必要はないがなるべく自然に近い音が要求される。心地よいサウンドを届けるためにはPAは料理で言えば素材の良さを引き立たせる“だし”の役目があるのだ。

第89回  ライブでのトラブル
 ライブでのトラブルで比較的多いのがメンバーの欠席である。事前連絡のあるドタキャンならまだ許せるが待っても現れない「すっぽかし」となると最悪である。あるイベント会場での演奏であったが待てど暮らせどピアニストが現れない。大勢の観客は開演を待ち、主催者からはまだですか?と催促は受ける。結局ピアノ抜きのデュオでスタートせざるを得なかった。演奏上は何とか1ステージを終えたものの主催者には顔向けができない。
 自分が病気や事故でドタキャンした経験はないがマウスピース(唄口)を忘れた事がある。楽器はマウスピースがないと音は出ない。リハの間に家に取りに行き辛うじて本番に間に合ったのである。
 楽器の故障も深刻である。ある時気持ちよく演奏していたら自分のアドリブソロから急に音が出なくなった。この時は焦った。出ない音を避けてフレーズを作りまさに薄氷を踏む思い。原因は一箇所ビスが緩んでいたことだったのである。
 ただこうした修羅場を経験して感じたのは絶対に落ち着きを失ってはならないと言うことである。その時に置かれた状況に応じて誠心誠意の演奏をすることがミュージシャンの務めではないだろうか。

第90回  英語で吹け!
 音楽は国々の言葉のニュアンスと切っても切り離せない関係にある。例えばベートーベンやワーグナーの曲はいかにもドイツ語の芯のある硬さが感じられる。またシャンソンはあの柔らかいフランス語のイントネーションだからこそぴったり来る。日本民謡や演歌は日本語でなければサマにならない。歌詞の有無とは関係なく音楽自体が言葉なのだ。
 ジャズはアメリカで誕生した音楽であり、ベースは英語である。ジャズのフレーズやアドリブソロを聴いているとやはり英語のイントネーションや語感を強く感じざるを得ない。
 有名な小話で今何時ですか?という英語の“What time is it now?”をそのまま“ホワット・タイム・イズ・イット・ナウ”と発音しても通じないが“ほったいもいじるな”の方が外人には通じるという。
 要するに英語の発音は一つ一つの単語より音節から成り立っている。ジャズのフレーズも同様で一つ一つの音符よりはフレーズのブロックで構成され、アクセントが付く。アマチュアバンド等でのジャズ演奏を聴いていると譜面には正確なのだがどこかジャズのニュアンスとは異なる場合がある。英語のノリ、アクセント、区切り方をまず勉強するのがジャズマスターへの近道のようである。

第91回  フィーリングとは?
 演奏活動をしていて「フィーリングがあるね。」と言われることは「上手いね。」と言われるより栄誉あることだ。フィーリングとは直訳すれば“情感”であるが分かったようで分からない言葉である。
 歌手に例をとればまず歌の意味を理解し気持ちをこめる事が大切である。しかしそれだけではないようだ。先日森進一氏が「森さんは女心を歌って感動を与えますが女心をよくご存知なのでしょうねえ。」と言うインタビューに答えて「女心?それが分かっていればこういうことには(離婚)なりませんでしたよ。」には笑ってしまった。
 では技術力だろうか。確かに魅力ある音質、独特の節回しや抑揚、そして快適なタッチとリズム感等は必要不可欠だろう。
 だが感動を呼ぶ演奏にはそれだけではないサムシングがあるような気がする。最近それはプレーヤーの人間そのものではないだろうかと思うようになってきた。その人が歩んできた人生がそのままその人の音楽に滲み出てくるように思えてならない。
 それだけにフィーリングに溢れた演奏をするには人も腕も磨かねばならず奥が深い。極めるには長く遠い道ではあるがそれだけに音楽には尽きない魅力を感じるのだ。

第92回  ここ有名?
 カナダに旅行したときのこと、バンフ国立公園で“レイク・ルイーズ”という大変美しい湖に立ち寄った。そこで湖面に見とれていると観光バスが到着しどやどやと日本人観光客が降りてきた。その中の一人の開口一番は「ここ有名?」だったのである。しばし唖然・・・。
 またニューヨークでライブハウスを探訪中ある店の前で看板を見ていると日本の若い女性が数人でやってきた。「あ、ここよブルーノートって、入ろう!」演奏者は全くお構いなし。こういう客に限って演奏なんか聴かずに演奏中おしゃべりしているのだろう。そして日本に帰ったら「私たちニューヨークで有名なブルーノート行ってきたのよ。」と吹聴するにちがいない。
 こんな小話がある。タイタニックが沈没時男性に船内に止まるよう説得する際アメリカ人には「残ると英雄になれますよ。」イギリス人には「ジェントルマンはお残りになります。」ドイツ人には「規則ですから残ってください。」そして日本人には「皆さんお残りになりますよ。」
 言うまでもなく絵や音楽は皆が好むから、有名だから良いのではない。自分の目、自分の耳が良いと感ずるものが良いのである。世界から「横並びの日本人」と揶揄されないよう、常に“選球眼”を磨こうではありませんか。

第93回  This Is It
 マイケル・ジャクソンの“This id it”を観た。音楽関係の映画は必ず観ることにしているので余り期待もせずに劇場に足を運んだのである。しかし内容は素晴らしかった!
 私はどちらかというとロックは好きな方ではない。またマイケル・ジャクソンの死についても整形と薬に頼りきった彼の生活態度にははっきり言って批判的である。しかし映画を観て彼が只者ではないことを遅ればせながら痛感したのである。彼の歌もさることながらダンスは驚異的ですらある。
 それにも増して映画では彼を支えるスタッフが一丸となって音楽を作り上げていく過程が感動的であった。時に彼の要望は抽象的過ぎて分かりにくいことも多い。しかしスタッフ全員がマイケルの言うことを懸命に理解し共に努力することによって音楽の質は確実に高まっていくのである。
 バックダンサーやバックコーラスは何百人という応募者の中から絞り込まれた人たちだ。彼等は技術的に優れていることはいうまでもないが皆マイケルを愛し、信奉している様が良く表れている。
 カリスマミュージシャンというのは観客を魅了する前に仲間をとりこにするのだなあ・・・とつくづく痛感させられた映画であった。

第94回  クリスマス・ソング
 毎年12月のライブはクリスマス・ソングのお世話になる。一口にクリスマス・ソングといっても手元に楽譜のあるものだけでも140曲ほどある。和製POPSやあらゆるジャンルを総合すれば300曲くらいあるのだろうか。
 これらの中で長い間トップの人気を保ってきた曲は“White Christmas”であった。この曲はアービング・バーリンが1,942年に作曲した曲で、戦場の兵士から家族に向けたラブソングである。ビング・クロスビーの甘い歌声によって長い間高い人気を保ってきたのである。
 今世紀に入って若干人気順位は変動の兆しを見せてきた。“White Christmas”は2位に後退し、メル・トーメが作曲した“The Christmas song”が第1位となった。以下3位は“Winter wonderland”4位“Santaclous us is coming to town”5位“Have yourself a merry little Christmas”と続く。(村尾陸男著 ジャズ詩大全より)
 どの曲も私のお気に入りで今年もよく演奏した。12月初めは1年ぶり演奏するため多少戸惑いもあるがクリスマス頃にはすっかり慣れてくる。しかしそれが終われば来年の12月までお蔵入りである。クリスマスソングよ、どうもありがとう。一年後にまた会いましょう!

第95回  マウスピース
 管楽器の部品で唇に直接当たる部分をマウスピースと呼ぶ。この部分にリードを取り付け息で振動させる訳でまさに音を作り出す要の部分である。このマウスピースの良し悪しで音質が決定付けられると言っても過言ではない。
 管楽器奏者は常に音質の向上を目指してより良い楽器とより良いマウスピースを模索している。「今何使っているの?」と仲間のミュージシャンとの情報交換も怠りない。私が現在使用中のものも他人から薦められたものであるが大変お気に入りの逸品である。
 最近新たに四国のあるメーカーが開発したマウスピースが大変評判となっている。このマウスピースは古いビンテージのマウスピースをモデルとして開発されたものでネットでのみ販売されており、楽器店の店頭では購入できない。
 最初に試奏して余りに良く鳴るので他の方にも推薦した結果今やこのマウスピース愛用者は10人近くに達している。その誰もが音質が向上に満足しているようである。
 所でこれだけ他人に推薦しながら自分自身は今の所このマウスピースに転向する気はない。何故なら今使用中の“正妻”の音質が気に入っているのでまだまだ“浮気”をする必要性を感じないのだ。

第96回  曲の構成
 ライブで演奏する際に気をつけるポイントの一つに曲の構成がある。ジャズの場合、曲はイントロから始まり、テーマを演奏し、各人にソロを回す、そして最後のエンディングで締める。言ってみればただそれだけのことである。
 そこで曲に変化を持たせるための工夫を必要とするのである。イントロはピアノで取ることが多いが時には意表をついてベースやドラムがイントロを奏でる。
 テーマ部分ではリズムを変えてラテン風にアレンジしたり複数の奏者でハーモニーをつけたりもする。更にソロになったら演奏順を変えることは勿論のこと奏者間の掛け合いやブレーク(リズムを停めて一人が演奏する)等を取り入れる。
 構成とはつまりアレンジのことであるがジャズの場合はこれらのアレンジを即興で行うことになる。良く何故全員の息がぴったり合うのですかと質問を受けるが奏者はお互いの顔を見、フレーズを聴いて瞬時に判断するのである。
 実際には全員が顔を向き合わせることはできないが全員が雰囲気を感知して一つに息を合わせるのである。全員がぴたりと気が合って上手くいったときにはお客様に感動を与えられるだけでなくジャズの快感が味わえるのである。

第97回  音楽の効用
 海野雅路著「ようこそ音楽へ」という本を読んだ。様々な音楽の効用が書かれており、音楽の不思議な働きの数々に感心させられた。
 まず最も興味深いのはバイオテクノロジーの分野である。醸造、発酵に音楽がとりわけ効果的だそうだ。酒の醸造過程ではモーツアルトの音楽を流すと良い。現にこの方法で作られたその名もずばり「モーツアルト」という酒がデパートで売られている。大変まろやかな日本酒である。またうどんにはビバルディ、食パンにはベートーベンが酵母の発達に好影響を与えるそうである。
 更に音楽の力が発揮できる分野は医療分野である。「音楽療法」は最近特に重視されている。つい最近のニュースでは認知症の患者にクラシックを聴かせたところ次第に症状が改善に向かい、忘れていた字が書けるようになったと報じていた。またうつ等の治療には音楽が顕著な効果を発揮するそうである。今後具体的な療法については更に研究が進むと期待されている。
 医療の患者だけではなく音楽に深く接して右脳、左脳のバランスよい発達は心身の健康が保てるとこの著者は語っている。私自身も最近音楽と深くかかわりを持てる幸せを痛感しているのである。

第98回  懐かしのニューオリンズ
 ニューオリンズを訪れたのは3度目である。前回からは丁度10年ぶりとなる。その間、一度チケット手配まで完了しつつハリケーンのために断念した経緯がある。
 今回は「フレンチクオーターフェスティバル」に合わせての訪問で毎日ジャズ三昧であった。ここでは3種類のライブが楽しめる。一つはフェスティバルでの演奏。専用ステージが10箇所くらいありプロアマバンドが朝から晩まで演奏している。次に飲食店の店内ライブ。ここには店が雇ったプロミュージシャンが演奏しており、コーヒー一杯でも楽しめる。外からの冷やかしも可能で気に入ったら入れば良い。更に路上で展開されるストリートミュージシャン、これがすごく上手い。
 演奏技術は玉石混交だが概してリズムが素晴らしい。いわゆるノリノリの演奏が大もてである。普段モダンジャズをやっているプレーヤーでもここではリズムに乗ってスイングする奏者に変身する。
 今回丸腰(楽器を持たない)で行ったのだが腕が各ライブを見聞きしながら腕がうずうずしてたまらなかった。来年は是非楽器を持参し、現地のプレーヤーとの共演を果たしたい・・・と早くも次の訪問に夢を馳せているのである。

第99回  ジャズ事始
 先日大学のクラブの2年先輩から1枚のCDが届いた。彼らが卒業記念に録音したバンドのCDである。
 当時大学にはコンサートバンドと称する吹奏楽団がありその中のピックアップメンバーによるジャズのコンボバンドがあった。デキシーランドスタイルのバンドで名前を“ゲイ・フラッターズ”と言う。
 私は1年生の後半からそのバンドにテナーサックス奏者として参加し、2年になると正式なクラリネット奏者に昇格した。従ってそのCDは私がジャズを始めて1年ちょっと、私の録音では最古のものとなる貴重な逸品である。録音は当時の部室でオープンリールの録音機を使って行われたが案外聴ける録音となっている。
 音楽内容は未熟ではあるがジャズを始めて1年目にしてはソロを全曲とりまさに怖いものなしである。早くも一部バンドを仕切るような片鱗さえ見せているのだ。(笑)
 この後3年に進級し、他大学の仲間と新バンドを結成してジャズ喫茶デビューへの道を歩む。私のバンド事始を知る貴重なCDである。先輩は当時の録音を大切に保管し、約50年後、知り合いの技術者により音源に修正を加えて復元してくれたのだ。感謝感激である。

第100回  暗譜のすすめ
 音楽はジャンルにかかわらず譜面をベースにしている。通常は譜面を見て演奏するがそれを覚えてそらで演奏することを「暗譜」という。  
 ジャズの場合管楽器奏者のソロはマイクの前に立って演奏することが多い。この場合は絶対「暗譜」した方が良い。その理由は3つある。譜面を持ってノコノコ前に出るより暗譜して楽器一本で演奏した方が明らかに「カッコいい」。客席から見ると自信たっぷりで上手そうに見える。また人前でソロをやるには暗譜できるほど繰り返し練習しなくてはならないということでもある。第3に譜面を見ると左脳の作業がワンクッション入るが暗譜すれば右脳100%で感情の表現に没入できるのである。
 とはいえ、曲を覚えるのは慣れないと中々大変である。もし忘れた場合は空中分解しかねない恐怖感もある。しかし多少の失敗を恐れずに暗譜に挑戦して欲しいものである。
 ジャズのソロは基本的にはアドリブ(即興演奏)であるから理想はアドリブでソロを演奏することが望ましい。しかし例え書かれた譜面でも暗譜で堂々と吹けばアドリブソロに劣らない迫力のある演奏が期待できるのである。暗譜は演奏のレベルを2〜3ランク以上アップさせることは間違いない。

過去のエッセイ

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