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横須賀オン・マイ・マインド

(横須賀のタウン誌 「朝日アベニュー」に毎号連載中のショートエッセイをそのまま掲載しています。)


第41回  ジャズの格闘技
 生(なま)のジャズを楽しむとしたら何と言ってもライブハウスだろう。コンサートホールにはない臨場感があり、酒とタバコの煙が如何にもジャズ風である。
 中でも最もエキサイティングなステージはジャムセッションである。ジャムセッションとは複数のプレーヤーが一つのテーマを基にアドリブを競うもので、まさしく「ジャズの格闘技」と言える。
 プレーヤーによってジャムセッション向きとそうでない人がいる。概してスインギーでノリ易いタイプはジャムセッションで力を発揮するがクールで知的なプレーヤーには余り向いていない。
 ある新聞のコラム記事によれば世界の金融を操るといわれているかの有名なグリーンスパン氏は若き日にジャズのテナーサックス奏者だったそうだ。彼は譜面通りに演奏することが得意であり、ジャムセッションは苦手であったと言う。彼のイメージからするとさもありなんと納得させられる。
 かくいう私はジャムセッション派であり、ステージから「高橋さん、一緒にやろうよ」等と言われると「いやいいですよ、私なんか」と言いつつも楽器をそっと取り出して準備を始めるのである。

第42回  甦(よみがえ)れ、レコード盤
 最近友人からレコードプレーヤーを譲り受けた。早速ほこりを被っていたレコードを引っ張り出しそっと針を下ろしてみる。“いいなあ!”。しっとりとした味わい、まさに「至福のとき」である。
 私がジャズを始めた頃はレコードしかなく、聴きたい曲に狙い定めてピックアップを下ろし、何度も何度も、文字通り擦り切れるほど聴いたものである。
 私は別に懐古論者ではないから全てレコードの方が良いなどとは決して思わない。CDやMDプレーヤーで聴きたい曲をボタン一つで検索できる便利さは何にも代え難い。しかし便利になった分、一曲に対する思い入れは希薄になったような気がしてしまう。
 CDやMDでは何気なく音楽を流すという雰囲気が強い。ヘッドフォンでは尚更だ。しかしレコードの場合は「さあ、これから聴くぞ」という心意気というか思い入れを感ずるのである。
 今やレコードで音楽を楽しむ人はホンの一握りのいわゆるマニアだけかもしれない。しかしこういうハイテンポの時代だからこそじっくりと味わいある音で好きな曲に耳を傾ける“スローライフ”の余裕も無駄ではないと思うのだ。

第43回  大器晩成
 初夏のある日、葉山の美術館で百寿記念「片岡球子展」を鑑賞する機会を得た。画伯は100歳になられた今でもお元気に絵筆を握ってらっしゃるそうである。
 私は絵画に関しては門外漢なので絵の技術的内容はさておき、年代的に絵の変遷を眺めると驚くべき作風の変化、というか成長ぶりに胸を打たれる。画伯は若い頃は小学校の先生の傍ら絵画展に出品してきたが中々評価を得られず、「落選の神様」というありがたくない称号まで授けられたそうである。ところが50歳で小学校を退職後、美術学校で絵画の教鞭をとる頃から大飛躍が始まるのだ。
 彼女のライフワークとなった「面構え」や「富士山」のシリーズは60歳以降にスタートしたテーマである。その後長い年月を経て更に完成度を高め遂に84歳にして文化勲章を授章する。彼女の努力と天分に培われた大器晩成ぶりは目を見張るものがある。
 絵画とジャズでは全く違う世界ではあるが脱サラジャズマンの私としては画伯から「まだ60歳はヒヨコよ、貴方もがんばりなさいよ!」と激励されたような気がした。何故かリフレッシュした心持ちで美術館を後にしたのである。

第44回  頑張れ!ニューオリンズ
 連日ハリケーン「カトリーナ」に痛めつけられたニューオリンズの惨状がテレビで放映されている。目を背けたくなる光景である。私は当初この原稿が「朝日アベニュー」紙に載る頃はニューオリンズを訪れ、毎夜バーボンストリートやフレンチクオーターでジャズに酔いしれていた筈であった。
 ハリケーン被害を最初に聞いた時はあと一月もすれば何とかなるだろうと高を括っていた。だが状況が明らかになるに及んで旅行計画はあっけなく中止となってしまった。水没し破壊された建物、荒れ果てた町並みは想像を絶する被害である。この分では街の修復は数ヶ月では終わらない気がする。というのはあの街は古いフランス風の建物やパティオと呼ばれる中庭などが大変情緒豊かな風情を保っている。たとえインフラだけが整備されても街の風情が快復し、店という店からジャズが聞こえて来ないことには復興した事にならないのである。
 私もチャリティコンサート等を通じて現地に支援の気持ちを伝えたい気持ちで一杯である。然し原稿を書いている現時点では虚脱状態で、何はともあれ一日も早い復興を祈るのみである。

第45回  欲しい、唄心(うたごころ)
 ジャズの醍醐味は何と言ってもアップテンポのスインギーな演奏だろう。ノリの良い演奏で、体が自然に動いてくる快感は何にも代え難い。しかしその合間にしっとりしたスローバラードを聴くとこれがまたたまらなく良いものだ。
 スローバラードは殆どラブソングと言って良い。それだけに奏者には技術だけでなく高度な「唄心」が求められる。唄心とは「感情表現力」とでも言えようか。昔良く先輩ジャズメンに「スローバラードが吹けなけりゃ一人前じゃない」と言われたものである。
 私はなるべく演奏する曲の歌詞を理解した上で感情表現する事を心がけている。というのはラブソングの中にも「好き好き」と言うハッピーな内容から失恋の悲しみの曲に至るまで様々だからだ。勿論ラブソングが全てスローバラードとは限らないが唄心はスローバラードでより鮮明に表れる。
 ラブソングを吹く前にはまず大きく息を吸い込んで、曲の内容に浸りつつ気持ちを込めて吹く。更に唄心に加えて「豊富な恋愛経験」という「素養」が加われば曲は一層艶と色気を増すことだろう。しかし残念ながらこの「素養」を私は持ち合わせていない。

第46回  街頭ライブの愉しみ
 最近は街頭ライブのできる場所が余りない。かつて街頭ライブのメッカだった代々木公園や井の頭公園でも演奏禁止である。所が私は今年新宿を中心に公認の街頭ライブを行う機会に度々恵まれた。
 街頭ライブのお客様は皆見ず知らずなので選曲や進行に一工夫要る。新宿西口では某カメラ店のCMソング“まーるい緑の山手線”に因んで「リパブリック賛歌」をまた東口での新宿駅100年祭では「ナイトトレイン」等を演奏した。神宮外苑では「野球に連れてって」が喜ばれた。また司会で多少の笑いも取ったりする。
 先日大井競馬場のライブでは酔客と思われる一人から「もっと知ってる曲やれえ!」のヤジ。すると前の席のご婦人が立ち上がって「このバンドはこれで良いのよ、あんた黙ってなさいよ!」と応酬。酔客はスゴスゴと去っていった。
 このようなハプニングは街頭ライブならではである。おまけにそのご婦人は帰り際に「あなた達の演奏すごく良かったわよ。」と「おひねり」(チップ)まで。こういう方が一人でもいてくれると単純にも幸せ一杯に感じる。帰りにメンバー全員で祝杯を挙げたのは言うまでもない。

第47回  終わり良ければすべて良し
 小編成のジャズの場合、通常イントロ(前奏)から始まってテーマやソロがあり、最後にエンディングで曲を集結させるのが一般的なパターンと言えよう。
 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」は川端康成の小説「雪国」の冒頭である。短いが物語への期待感を高める名文として知られている。ジャズでのイントロ(前奏)も同様で、たとえ数小節であっても聴衆にワクワクする躍動感を、演奏者には曲のイメージを伝える役割を持っている。
 イントロの対極にあるのがエンディングである。イントロが通常ソロで奏されるのに対しこちらは全員が参画する。エンディングにはいろいろなパターンがあるが、メンバー全員が気持ちを一つにして瞬時にリーダーの意向を汲み取り曲を終結させる。最も緊張する一瞬でピタッと決まれば拍手喝采、気分爽快だがしくじればそれまでの好演奏も水泡に帰してしまう。まさに「終わり良ければ全て良し」とはこの事である。
 さて今年も最終月になってしまった。エンディングがピタッと決まって気分一新、明るい新年に繋げたいと思っている。一年間のご愛読ありがとうございました。

第48回  楽器抱えて半世紀
 中学のブラスバンドでクラリネットを始めてから今年で50年になる。音楽生活50年といえばかっこいいが演歌歌手の様にこの道一筋50年とは大分趣が異なる。
 楽器と真剣に付き合ったのは就職迄の10数年間とリタイア後の6,7年であり、あとの30年は細々と続けてきた。いわば「キセルの50年」なのである。ただ私的にはキセルの木の部分に相当する30年により深い意義がある。
 当時の会社は文化面には無縁であり音楽活動は水面下に限られた。平日の勤務体制は早朝から深夜迄で週6日制。休日は全て練習に当てられる。従って犠牲は家族に集中した。私には娘達の授業参観や運動会にまともに付き合った記憶はない。中学高校に至っては校門さえくぐったことがない。妻は典型的な「ジャズ・ウィドウ」を余儀なくされたのである。
 しかしこの30年間の間描いてきた「リタイア後のジャズ三昧生活」の夢がバネになって現在の私がある。お陰様で夢叶ってジャズ人生をトボトボと歩んでいる。願わくばキセルの金属部は更に延長していきたい。次は「楽器抱えて60年」を目指して気持ちを新たにした平成18年元旦であった。

第49回  アバウトの大切さ
 ジャズの場合基本的には譜面がない。いやたとえあっても譜面どおりではなく自由に演奏し表現しなければならないのだ。所がこの「自由に」がくせ者で、ある程度の技術やコツが要る。
 昔先輩ジャズメンから「ジャズは大河内傳次郎で吹け」と教わった。この人は有名な時代劇の俳優であるがせりふの語尾は何を言っているか分からない位口の中でぼかすのだ。これが何とも言えない味わいを醸し出している。私が敬愛するジャズの名人達も皆独特のフレージング(節回し)を持っている。彼らの演奏は決して几帳面になりすぎず、英語のスラングで語りかけるように吹いている。
 話は変わるが我々の病気はストレスが原因と言っても過言ではない。このストレスに打ち勝つためには余り物事を真剣に考えすぎずある程度の「鈍さ」と「いい加減さ」が必要であると言う。
 ジャズの場合もまさしくこの「いい加減さ」言葉を換えて言えば「アバウト」さが欠かせない。人間的な面はさておき、これからもある程度の「いい加減さ」と「アバウトさ」を身につけて健康の維持とジャズのレベルアップの一石二鳥を目指していきたい。

第50回  BGMあれこれ
 BGM(バックグラウンドミュージック)は無条件に耳に飛び込んでくる。だから対象や場所によって選曲やボリュームは慎重に行うべきだと思う。しかし街中には一体客の事を考えているのだろうかと首を傾げたくなるBGMが溢れている。
 近くの量販店ではその店のCMソングを大音量で立て続けに流す。何か追い立てられているようで落ち着かない。一日中何百回も聞かされる店員はたまったものではないだろう。更にこういうBGMは外に出ても耳にこびりついて離れない。こうなると完全に音公害である。
 私が良く行くそば屋ではいつもクールなモダンジャズが流れている。ある時店長に聞いてみた。「このBGM良いですね、店長もジャズ好きなんですか?」すると「ジャズ?あ、これは本部の指示の有線流しているんです。」ギャフン。でもまあ良い、ポリシーを持ってBGMを決めているだけでも評価できる。
 ターゲットを絞ったカジュアルショップなどではその店の客層に合った音楽を流す方がベターだろう。しかし不特定多数を対象とした場所や店では常識的には右脳を刺激する静かな器楽曲が適しているようだ。少なくとも耳にお邪魔な騒音BGMだけは避けて欲しいものである。

第51回 大切にしたい「間」(ま)
 洋の東西を問わず歌舞音曲に関しては「間」が重視される。能や歌舞伎の世界では所作の一瞬の間が観客を幽玄の世界へと誘う。歌舞音曲に限らない。話芸でも間が重要な要素となっている。昔私の祖父は大変話が上手かった。講談めいた話を孫達に聞かせるのだが佳境に入ってくるとお茶をズズっと一飲みする。そこで孫達は文字通り固唾を呑んで見守り話の中に引き込まれたものである。間と言う言葉を辞書で調べると「話の中に適当に取る無言の時間」とある。それはそれで正しいのだが実際にはそうした物理的な時間や空間の問題だけではなく全体の流れの中でのメリハリといった意味合いが濃いものと実感している。
 ジャズの場合は特にそうだ。元々ジャズはラグタイムと呼ばれてタイミングをちょっとずつずらすことで独特の間を活かした音楽と言える。流れるような流麗なフレーズばかりでは決して感動は呼ばないがそこに効果的な間をおくことによって曲に表情や色彩感が加わるのである。
 ジャズマンの個性は音質、フレーズ、間の取り方で決まると言えるだろう。余り間の多すぎる演奏は退屈で「間延び」してしまうが逆に間の少ない平坦な演奏も「間抜け」として余り歓迎されないのである。

第52回  ウオーミングアップの秘訣
 ステージに上がる前にはウオーミングアップが必要なのは言うまでもない。しかしなかなかライブ前の慌ただしさの中では充分練習できずに不本意なスタートとなることもある。
 先輩プロから教えられた事だが「ライブ会場に来てプープー練習しているような奴は素人」だそうだ。そう言えばその先輩プレーヤーは「演奏をお願いします」と頼むと楽器をさっと出してパッとくわえて完璧に演奏を始める。どうしていきなりウオーミングアップなしで上手く吹けるのだろうと不思議に思っていた。ある時地方のディナーショーに同行し、ホテルに着いて時間があるので皆で食事に出ようと言う事になった。先輩は部屋から楽器の小さい音が聞こえてくるので邪魔しないよう彼を残して食事に出かけ、数時間後に戻るとまだ吹いているではないか!
 ステージで直ぐ演奏できる秘訣とはごく当たり前で簡単なことだったのである。ライブ前の人の見えない所で楽器、身、心の臨戦態勢を完全に整えておく。これに尽きるのだ。勿論彼の楽器はディナーショーの一曲目から朗々と鳴り響いていたことは言うまでもない。それ以後、私もこの先輩を真似てライブ前には出かける前に家でのウオーミングアップを励行するよう心がけている。

第53回  転調の苦しみ
 管楽器は原調(ピアノキー)と音の高さが異なる場合がある。同じドを吹いても出てくる音はドにならない。アルトサックスであれば一音半高い音が出るしテナーサックスやクラリネットでは一音低い音が出る。
 ジャズで用いる譜面(使わない場合も多いのだが)は原調で書かれている事が多いので演奏する際に自分の楽器に瞬時に転調する必要がある。これも一種の技術と言えるが、ある程度慣れで対応できる。
 クラシックのオーケストラ等ではその楽器用に転調された譜面を用いるので基本的には譜面どおり吹けばよい。所がクラリネットの場合、通常の楽器よりも半音低いA管という楽器が使用される事がある。クラリネット奏者は常に音の高さの異なる2種の楽器を持たなければならない。学生時代には2本買う余裕はなく通常の楽器一本で対応せざるを得ないため全て半音下げる必要が生ずる。転調の煩雑さと同時に#が5つも増えて指使いが格段に難しくなるのだ。
 メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトは大変人気の高い曲でここではソリストとクラリネットの2重奏がある。聴いている分には実に軽快で心地よい。しかし「転調奏者」の私にとっては冷や汗と悪夢以外の何ものでもないのだ。

第54回 ヴィンテージ楽器の魅力
 サクソフォンはベルギー人のアドルフ・サックスが発明した比較的新しい楽器である。ジャズの主要楽器だが最近はブラスバンドでも人気があり、需要は多い。現在は輸入物の大手ブランドと国内ブランドが広く普及している。最近の楽器製造技術は発達しており音程や演奏し易さという機能面が非常に優れ、品質も安定している。特に日本の楽器の優秀さは世界でも折り紙付きである。
 一方こうした新品楽器とは別に、いわゆる“ヴィンテージ“と称され製造後40年以上経っている年代物の中古楽器の一群がある。これらは楽器屋の店頭でも購入可能だが最近ではネット市場も活発である。ただこうした古いヴィンテージ楽器は一本一本に個性がある反面当たり外れがある。従って現物をしっかり確認しないと品質のおかしな物を掴まされる危険性もある。
 それにも拘わらずヴィンテージ楽器に人気があるのは新品にはない独特の味わい深い音色と気品ある風格に魅力があるからだ。優れたヴィンテージ楽器に巡り会うのは良き伴侶探しと同様に難しい。私は今使用中の楽器に充分満足しているが楽器屋の店頭で姿形の良いヴィンテージ楽器に遭遇すると今でもつい“浮気心”を起して試奏したくなってしまう。

第55回 基本は呼吸にあり
 管楽器や歌で良い音(声)を出すための最重要課題は「呼吸」である。呼吸なんて毎日絶えることなく誰でもしているのだからどうって事はない筈だがこと演奏となるとこの簡単な事が難しい。よく客席から見ていると上がっている人はすぐ分かる。音は細り、ミストーンは出て抑揚がなくなる。目は虚ろで端から見ても明らかに「無呼吸」の状態なのだ。
 呼吸の原則は勿論「腹式呼吸」であるのは言うまでもないがラジオ体操のようにゆっくり深呼吸と言う訳には行かない。素早く息を吸って少しずつ吐き出すにはそれなりに腹筋の訓練も必要である。更に息はただ長く続ければ良いというものではなくフレーズに応じて息継ぎをしないと“弁慶がな、ぎなたを持って“のようにおかしなイントネーションとなってしまう。
 黒人歌手のジョーウィリアムスは言っている。「呼吸は足元の大地から空気を吸い上げる事である」と。こうなると剣豪の禅問答じみてくるが彼の太く豊かでアーシーな声を聴いていると“なるほど”と納得する。ジャズの名手達の演奏技術には遠く及ばない私ではあるがせめて基本の呼吸法くらいはマスターして彼らの音色に少しでも近づきたいと常々願っているのである。

第56回  中国書道家の教え
 私は一時書道に凝っていた。ある時中国の書の大家に教えを乞うた。どんな高潔な訓話があるかと期待に胸膨らませつつゆっくり墨を摺りながら待った。やがてお見えになった書家は開口一番、「墨は墨汁で構わない、墨を摺る暇があったら一字でも多く字を書く練習をしなさい!」正に目から鱗の先制パンチであった。更に衝撃的だったのは本題の書の実技に入ってからである。書道の稽古の原点は古典の「臨書」であるがその中国の書家はどんな字も古典の書体どおりに書き分ける。形が似ているのみでなくどの字もその書独特な運筆、リズム、タッチを持っているのだ。古典の書聖達もかくやと思われる迫力に圧倒されたのである。要するに「臨書」とは字を真似る事ではなくその筆使いや躍動感を会得する事だと教えられたのである。
 臨書の姿勢は今でもジャズにダブらせている。ジャズでも「臨書」、つまり名手の演奏をコピーすることは大切な上達法だが単なるフレーズコピーだけではダメで歌心やスイング感や音質等を追求すべきなのだ。中国の書家とはたった一度の遭遇であったが得るものは大きかった。然し残念ながら肝心の書に関しては生来の「悪筆」は尊い教えにも拘わらず遂に改善されなかったのである。

第57回  メジャーとマイナー
 音階(スケール)にはメジャーとマイナーがある。一般的にはメジャーは快活で明るく、マイナーは哀調を帯びた感じになるとされている。
 ジャズの場合は圧倒的にメジャーの曲が多いのであるがライブでリクエストを取ると半数以上がマイナーの曲となる。“枯葉” “サマータイム” “鈴かけの径”(これはジャズではないが)等のマイナー曲がズラリと上位に並ぶ。日本人の感性に如何に合っているかを物語っている。
 これほどマイナー曲に人気が集中する理由は日本の伝統的な音楽がマイナー基調で日本人にその感覚が染みついているからではなかろうか。何となく心に安らぎを感じさせるのかも知れない。日本民謡、わらべ歌、演歌の類は殆どがマイナーである。昔日本の要人の葬儀で外国の軍楽隊が譜面から見て悲しそうな曲を選んで演奏したら何とそれは“かっぽれ”であったという笑い話もある。
 ただジャズにも先述したような名曲やハッピーな曲もある。通常ライブではマイナー曲は続けて演奏する事を避ける傾向がある。然し聴く側からすればメジャーもマイナーも余り関係ないのかも知れない。客側からのニーズがあるのならもっと積極的にマイナー曲を取り上げて良いのかなと最近思い始めている。

第58回  初レコーディング
 10月末に下田卓さん率いるカンサスシティバンドのメンバーとして初レコーディングを行った。正確に言えば30年前ニューオリンズラスカルズ時代に何枚かのLPレコード録音の経験はあるのだがその時は殆どライブ録音でありスタジオ録音は初めてなのである。
 スタジオ録音は「根気」と「こだわり」から生まれる。演奏を録音し、聴き直しては修正する作業を何度も何度も繰り返す。音楽を演奏するというよりは工芸品を丁寧に作り上げる作業に近い。
 それだけに完成した見本盤を聴いてみると“してやったり”というほのぼのとした満足感を感じる。敢えて宣伝文句を言えば「男の哀感をジャズテイストで歌い上げた下田卓オリジナル、珠玉の17曲」てな事になるのだろうか。下田さんの人気は抜群で先月の阿佐ヶ谷ジャズ祭出演後も前作のアルバムを求めるお客様が長蛇の列であった。今回のサードアルバム来春発売に乞うご期待である。
私個人にとっては初参加CDとは言え、内容は下田さんの唄を中心としたバック演奏であり私のアルバムとは言えない。今度は是非私のアルバムを・・・という夢が膨らんだレコーディングであった。

第59回  ジャズに譜面は要(い)らない
 昭和30〜40年代はジャズが今よりも盛んで特にビッグバンドジャズが全盛であった。ビッグバンドが入っているキャバレーやダンスホールは全国各地に無数にあった。
 バンドには分厚い譜面が備えてあり、バンマスから譜面ナンバーが告げられると即座に演奏開始する。当時はダンスバンドがメインであるから曲と曲の間はほんの数秒である。ミュージシャンには譜面を早く正確に読みとる能力が必要不可欠だった。その後ジャズはコンボ全盛の時代になりジャズの嗜好変化もあって奏者に求められる能力は読譜力よりはアドリブソロが重視されるようになる。
 勿論ライブでは今でも譜面を用意することはある。譜面によって曲順の指定や構成等をメンバーに伝達するのである。然し実際の演奏上では余り譜面を見ていない。逆に譜面に首っ引きでは余り良い演奏は望めないのである。譜面を読むという左脳の作業から離れてフレーズを創造するという右脳の作業に没頭した方がより良い演奏が出来るはずである。ライブ前に選曲して譜面を揃え、その譜面をコンビニで何枚もコピーを取って準備する作業はバンマスの任務のひとつであるがその譜面が使われないほど演奏が良いというのは何とも皮肉な現象である。

第60回  ジャズとの出会い
 私のジャズはこれまで数々の「出会い」(いかがわしいサイトの事ではありません。)から生まれたと言っても過言ではない。元々中学時代から兄の影響でジャズへ強い関心は抱いていたが具体的な接近は大学1年生の時。部室で知り合った友人からサッチモやジョージルイスのレコードを毎日聴かされているうちにいつの間にかトラッドジャズの世界にはまってしまったのである。
 その後も恩師中村喜美夫氏との遭遇、ニューオリンズ・ラスカルズへの参加、そしてアメリカでの本場ミュージシャンとの共演経験等を通じて私の奏法や演奏スタイルが固まってきた。更に最近のジャズ活動の中で様々なミュージシャンとの出会いから受けた感動や影響は数知れない。
 先人の例を見るまでもなくジャズの世界では巡り会ったプレイヤーからお互いが触発しあい、新しい音楽を生んだ例は枚挙にいとまがない。人との「出会い」がジャズそのものを変えるのではないかと痛切に感じている。
 平成19年の年頭に当たり、今年も昨年に劣らず数多くの「出会い」に巡り会えることを切に願っている。新しい「出会い」がある限り私のジャズはまだまだ進化を遂げる可能性があるのではないか・・・。甚だ勝手な妄想ではあるがこれが亥年の年頭に当たり私が見た初夢である。

過去のエッセイ

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−第121回から第140回
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