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横須賀オン・マイ・マインド

(横須賀のタウン誌 「朝日アベニュー」に毎号連載中のショートエッセイをそのまま掲載しています。)


第61回  音楽の右脳効果
 音楽と右脳の関係はこのコラムでも何度か触れた。音楽に右脳刺激効果があるのは一般論では正しい。しかし神経内科の米山博士によれば聴き方によってその効果は左右されるのだそうだ。
 昔懐かしい唄を口ずさんだり演歌を風呂場で唸ったりする場合の右脳刺激効果は皆無と言って良い。きれいなメロディほど効果は高く、リズムを強烈に感じるロック系やスイング系の音楽は左脳を刺激するそうである。
 また聴き方によっても違ってくる。何かをしながらBGMとして聴いている限り余り効果は期待できずじっくり音楽に集中して耳を傾けることによって初めて右脳刺激効果が得られるのだそうだ。つまりこうしたことを考慮した上での理想的な音楽鑑賞態度とは・・・照明を落とした部屋でクラシック系の余り聴き慣れない美しい旋律に没頭してじっくり耳を傾ける、ということになる。
 まあそれはそれで良い。しかし実際には音楽を楽しむのは何も右脳効果を高めるためだけではない。好きな音楽を好きな時に自由に聴く快感は何にも代え難いものだ。自由に音楽を楽しんでこそストレス発散や明日への活力につながる筈である。そういう訳で右脳効果の有無に関わらず私は今日もお好みのCDを取り出してはスインギーな曲やバラードに陶酔するのだ。

第62回  ノリの違い
 ここに白人のトランペッターと黒人のサックス奏者の共演によるライブ録音CDがある。両者共著名な奏者でいずれも素晴らしいソロを展開する。所がユニゾン(同じメロディを一緒に吹く)では音の出のタイミングがずれている。ライブなどの場合は良くある事だが2人のノリが微妙に違うのである。
 こうしたことはジャズに限った事ではない。以前日本の姉妹歌手がウィーン少年合唱団との共演に先立つリハーサル場面がドキュメンタリーで放映された。姉妹と合唱団のタイミングがなかなか合わない。少年の一人が言う。「あのおばさん達僕たちと声の出だしが違うんだ。」クラシックの場合指揮棒の最下点が音の出だしなのだが童謡歌手の彼女らは指揮棒が最下点に達する前に声が出る。要するに両者のノリが根本的に違うのである。
 私自身の経験であるが初めてニューオリンズで現地の黒人ミュージシャンと共演した時にまず感じたのはこのノリの違いであった。彼らは決して難しいことをやっている訳ではないのだがそのノリはタメがあって分厚い。興が乗るに連れそのスイング感はグイグイ迫ってくる。我々日本人にはなかなか真似が出来ない境地である。この独特なニューオリンズジャズのノリの魅力が未だに私を捉えて離さないのである。

第63回  ラブソングあれこれ
 ジャズにはラブソング(恋歌)が多いなと日頃実感している。そこで実際にジャズ詩大全(村尾陸男著、日本アート出版刊)から無作為に100曲余りを抜粋して集計してみた。
 全体の50%が求愛型の正調ラブソングであった。次に失恋系のラブソングが30%で別れた相手を懐かしんだり恨んでみたりと言う内容。そして「恋とは・・・」という説得調が10%。この代表昨は”As time goes by”である。この曲は普通「時の過ぎゆくままに」と訳されているのは誤訳で時代が変わっても恋というものは変わらない、という意外にお固い歌詞なのだ。ラブソングでない曲も10%ある。主にブルースでやり場のない苦しさや虐げられた魂の叫びなどを歌っている。色恋とは無関係な暗い歌詞で日本の歌謡曲のブルースとは全く異質である。
 ちなみに日本の代表的な歌集である「百人一首」の中で恋愛を歌ったものは半分に満たない。しかもその内容は来ない相手を待つ寂しさや他人に内緒で秘かに恋い焦がれるという内向的な恋歌が多い。
 と言う訳でやはり「ジャズはラブソング也」は正しかった。ジャズフィーリングを保つには恋歌への理解を深めるかまたはブルース専門の奏者になるしか方法はないようである。

第64回  練習と本番
 野球の場合、ピッチャーが登板する前のブルペン(投球練習場)で良い球を投げていたのにいざ試合ではめった打ちに会う事がある。逆に調子はイマイチだが慎重にコーナーに投げ分けていたらスイスイ勝利投手と言うケースも稀ではない。
ジャズでもこれに似た経験を度々味わってきた。練習の時はすごく音も良く鳴っているし調子良さそうだと勢い込んで演奏するとステージでは大きな失望を味わう事が多い。むしろ大して準備もせずに演奏をスタートしたら意外と良い結果が出ることもある。 
 音楽の技術向上には練習するに越したことはない。日頃の地道な練習なくして良い音づくりは到底望めない。しかし即興性を重んじるジャズでは練習さえしていれば本番で上手く行くとは限らない点が難しいのである。また事前練習や前日のライブで好調であっても当日の演奏には何の保証にもならない。
 概して練習の際にイメージを膨らませ過ぎると本番では現実とのギャップで演奏がぎくしゃくしてしまう。ジャズに関しては“イメージトレーニング”は百害あって一利なし。自然体で臨むことが一番のようである。それに観客の声援という追い風が加わればしめたものだ。

第65回  バンド形態様々
 ジャズバンドは大きく分けると大編成のビッグバンドと小編成のコンボバンドがある。ビッグバンドは大体10名以上の人数から成り、譜面を中心として統制の取れた演奏を行う。それに対してコンボバンドは少人数でどちらかというと各奏者のソロに重点が置かれている。
 コンボバンドの中でもリズム楽器と2人だけのデュエットから9人編成くらいまで様々である。バンド内での役割は大雑把に言えばメロディを奏するフロントとリズムを担当するリズムセクションがあり、ピアノは双方の役目を兼ねる。現在私が活動しているグループは2〜8名までのコンボバンドから18人編成のビッグバンドまで多岐に亘っている。
 バンド形態に応じて苦もあり楽もある。ビッグバンドでアンサンブル(合奏)が決まった時の快感は何にも代え難い。だが大人数で練習を重ねるには時間的場所的な苦労が絶えない。
 一方コンボでは当意即妙の掛け合いを演じられるのもジャズならではの楽しさであることは間違いない。しかしメロディ楽器が少なければ少ないほどその責任と負担も倍加する。ワンホーン(メロディが一人)の場合は演奏の良し悪しは全て自己責任である。従って個人企業の社長のように常に自転車操業に苦しんでいる。

第66回  演奏旅行の楽しみ
 人気歌手の場合、ツアーと称して地方の演奏旅行を良く行う。津々浦々に人気を定着させる事と自分のアルバムの販売促進を兼ねている。
ジャズが全盛の頃はジャズバンドもツアーを良く行った。ビッグバンド単位で地方公演も珍しくはなかった。これをバンドマン用語では“ビータ”(旅の逆)と称していた。しかし最近では興行的にペイしないのでジャズバンドだけのツアーは極めて少なくなってしまった。
 所がたまたま6月末から7月初めにかけてそのツアーを経験する機会を得たのである。わずか5日間ではあったが三重〜愛知の会場で合計6回のコンサートを開催した。題して「新宿ジャズ祭in○○」。総勢20名弱のメンバーが4グループに分かれて演奏したミニジャズ祭であった。
 演奏前のセッティング、終演後の撤収そして次会場への移動と旅行としては快適とは言い難い。夜食は大抵日付が変わる頃となる。しかしこんなにタフな行程でも力づけられるのは聴きに来ていただいた観客の温かい拍手と声援である。終演後「来年も是非来て!」などというリップサービスを受けると旅の疲れはすっ飛んでしまう。今この原稿を旅から戻った直後に書いているが未だに旅の興奮醒めやらずである。よし来年もまた行くぞ!

第67回  懐かしのS盤アワー
 物心ついた頃ジャズへの興味をかき立ててくれたラジオ番組に「S盤アワー」がある。ビクターが洋楽レコードの普及を狙った番組であった。テーマの「エルマンボ」に始まり帆足まり子のDJでクロージングテーマ「唄う風」まで一心不乱に耳を傾けたものである。同種の番組でコロンビア系の「L盤アワー」ポリドール系の「P盤アワー」も人気があった。その後聴取者の人気投票で順位を決める「ヒットパレード」の出現につながるのだ。
 私がクラリネットを習い始めて間もなく秘かにマスターした最初の曲は「エデンの東」であった。この曲は当時のヒットチャートで何と4年間もトップの座をキープしたのである。  
 この時代のヒットチャートが現在のそれと決定的に異なる点が一つある。それは当時バンド演奏ものが上位の半数を占めていたことである。ペレスプラード、ラルフフラナガン、リカルドサントス、ビクターヤング、スリーサンズ等々人気バンドが名を連ねていた。最近のヒットチャートではバンド演奏ものは皆無と言って良い。勿論ヴォーカルものも悪くはないがあの優れたバンド演奏は一体何処へ行ってしまったのだろうか。
 ガーシュインの名曲ではないが”Strike up the band”、「バンドよ張り切れ!」と叫びたくなるのだ。

第68回  唄バンの秘訣
 ジャズバンドでは楽器を主体としたバンド演奏の他に歌手の唄の伴奏、いわゆる“唄バン”の機会が良くある。大体は直前に渡された譜面を元にアドリブで対応する。出だしやエンディングは歌手の指示に従いつつ表情や仕草から当意即妙に伴奏する。慣れれば初対面の歌手でも一応合わせられるが歌手が感情を込めて唄いやすいようにサポートするのは案外難しい。
 あるプロの歌手の話では一番嫌な伴奏者は人の唄を聴かずに勝手に吹く人だそうだ。さもありなん。唄の邪魔になる伴奏などない方が良いに決まっている。それとやたらと隙間に音を入れたがる人でこれもナットク。「ああこりゃこりゃ」とか「それからどした」等のようなノリで間を埋められたらラブソングも型無しである。
 私としてはなるべく“恋人との語らい”のように吹く事を心がけている。
唄の邪魔をせず相手の話にあいづちを打つ程度の最小限の伴奏に留める。曲の中には1箇所必ずソロが回って来る。これは「あなたどう思う?」との彼女の問いかけである。その時だけ自分の言葉で感情を込めて表現する。
 とは言え実戦では自由に歌い上げる女性歌手のお気に召すようにはなかなか吹けないものだ。もっと若い頃から“恋の語らい”を勉強すべきだったと最近しきりに反省している。

第69回  マルチプレーヤー
 一人で2つ以上の楽器を演奏できる人を「マルチプレーヤー」という。但し全く異質の楽器の場合に限る。私は不断必要に応じて本職のアルトサックスの外にソプラノサックスやクラリネット等も演奏している。しかしこれらの楽器はあくまで「親戚」であり、吹けて当たり前なので真のマルチプレーヤーとは言い難い。
 私の敬愛するアルトサックスの巨匠ベニー・カーターという人はトランペットも流麗に吹く。アンドレ・プレビンという人は著名なジャズピアニストであると同時にクラシックの名指揮者である。こういう人こそ本物のマルチプレーヤーと言える。
 私は不器用な奏者なのでマルチプレーヤーとは全く無縁であった。所が最近そうも言えなくなってきた。というのはビッグバンドではフルート持ち変え指定の曲が増えてきたからである。これまでクラリネットなどで茶を濁してきたがやはり合奏の音色上、フルートは必要不可欠なのだ。
 そこで今年からフルートの練習を遅ればせながら開始した。フルートはサックス等とは音の出し方が全く異なるのでまさに「ビギナーの苦しみ」をイヤと言う程味わっている。そして遂に10月のコンサートではフルートデビューを飾るのだ。いよいよ「マルチプレーヤーの卵」の誕生である。

第70回  演奏会の労力
 飛行機事故で亡くなった脚本家の向田邦子さんがエッセイで語っている。「1時間ドラマの脚本を仕上げるのは炭坑夫一日の労働もしくはリサイタル開催の仕事に匹敵する。」と。肉体的な労力のみならず創作力を発揮しつつ神経をすり減らす脚本執筆が多大なエネルギーを必要とするのは大いに理解できる。
 ではリサイタルはどうだろうか?我々ビッグバンドリサイタルの手順はざっと以下の通りである。朝開館と同時に楽器搬入を開始しステージや受付設営、PAチェック、ゲスト歌手とのリハーサル等で午前中はあっという間に過ぎる。午後から本番を迎え無事演奏を終了後撤収完了まではざっと8時間、かなりぐったりと疲れる。つまり肉体的な労力と精神的ストレスを加味すれば向田さんの分析はある程度妥当と言えるだろう。
 但し我々のリサイタルでは当日の労働は氷山の一角である。この日のために準備すべき雑用は山ほどある。そして何よりも根底に全員一丸となった長期に亘る練習が横たわっている。
 こうして見ると我々のリサイタル開催はドラマの脚本制作の数十倍の労力に匹敵するのではないだろうか。その結果があの程度の演奏というのは何とも「非効率的な労力」であると言わざるを得ない。

第71回  リード選びの悩み
 クラリネットやサックス等の木管楽器ではリードといって葦の一種で作られた板状の素材を振動させて音を出す。天然素材なので製品にばらつきがあり、天候や種々のコンディションにより影響を受けやすい。
 リードが音の良し悪しを左右するので木管楽器奏者はこの選別に細心の注意を払う。私は常時10枚ほどの「即戦力」を抱えているがどれもそれぞれ鳴り方が微妙に違う。事前の練習で良く鳴っていたので採用したらいざ本番で「ん?」ということも多々ある。ライブ前は野球の監督が先発ピッチャーを決める時のような苦しみを日々味わっている。
 リードの価格は1箱10枚入りで大体3000円程度だが1箱の中で良く鳴るものは3〜4枚であとはほとんどゴミ箱直行となる。私の場合はアルトサックス、ソプラノサックス、クラリネットの3種揃えておく必要があるのでその費用はバカにならない。長持ちするプラスティック製もあるにはあるが音質上、私は天然素材を愛用している。
 新しいリードを1枚ずつ試奏する時は良い1枚にめぐり合う喜びよりも捨てる苦しみの方が多いのだ。こんな時はいつも「リード不要のラッパやフルートをやっていれば良かったなァ」とタメ息が出てしまうのだ。

第72回  時代遅れ
 私はカラオケが苦手である。というより歌そのものが苦手と言える。だから演歌やポップスの曲は余りピンと来ないのだが川島英五の代表曲「時代遅れ」だけは例外である。

一日二杯の酒を飲み
肴は特にこだわらず 
マイクが来たなら微笑んで 
十八番をひとつ唄うだけ・・・


 この阿久悠の歌詞が琴線に触れるのだ。この歌詞通りマイクが来て「一日二杯の・・・」と歌い始めると「バケツ二杯か!」等と不届きな野次を飛ばす輩もいるが私の生活信条を歌っているかのようで心がこもる。
 一方ジャズでも”I‘m oldfasshioned“というジェローム・カーンの名曲がある。私の大好き曲で時々ライブでも演奏する。こちらの曲は「あなたがいつまで古風のままでいてくれたら 私もこのまま古風で良いの」と男に惚れた女の色っぽい歌詞がついている。この曲は旋律がとてもすばらしい。
 先述の「時代遅れ」の歌詞は続く。

目立たぬように はしゃがぬように 
似合わぬことは無理をせず 
人の心を見つめ続ける 
時代遅れの男になりたい・・・。


 子年の年頭に当たり今年も自分のペースを守り「時代遅れ」で”old fashioned“な生活態度を守っていこうと考えている。

第73回  叱られて
 私の人生の中で私を真剣に叱ってくれた人が3人いる。小学校の担任の水谷晴子先生、中学のブラスバンドの東清蔵先生、そしてサラリーマンになってからの創業社長堀禄助氏である。3人とも既に鬼籍に入られているが彼らにこっぴどく叱られた時は心底憎んだものである。しかし後で考えると彼らから得たものは大きく、まさに恩人と言える。
 楽器面でしごかれたのが東清蔵先生である。先生は中学校にブラスバンドを創設する時に専任のコーチとして就任、全くの初心者集団を1年足らずで発表会で演奏するまでに成長させる手腕を発揮された。
 海軍軍楽隊出身で指導は厳しかった。彼の専門がクラリネットだったこともあり特にクラリネットパートには連日雷の連続、毎回今度こそ退部しようと仲間と「退部届」を懐に話し合っていたものである。
 当時は部員の数より楽器の数が少ないために放課後の楽器争奪戦も熾烈。皆叱られないために先を争って練習したものである。未だに「普段は優しい方で」などという美辞麗句は浮かんでこない。しかしこうして鍛えられたクラリネット仲間が未だに楽器を続けているという事からするとあの厳しさが上達の原点だったのは間違いない。

第74回  もっとゆっくり
 先日N響メンバーによる室内楽を聴いた。その際ウィンナワルツの解説の中でリーダーのヴァイオリニストが興味あるトークをしていた。彼がウィーンフィルのメンバーにウィンナワルツの奏法についてクリニックを受けた時開口一番言われたことは「もっとゆっくり弾きなさい。」だったそうだ。
 私もジャズで同様な経験がある。本場のニューオリンズミュージシャンの演奏はとてもゆったりしたテンポで驚くほどのドライブ感を出す。これには様々な要素が絡んでいる。その一つとしてドナウ河やミシシッピ河の流れ、全体的にのんびりした街の風情等と無縁ではないような気がする。
 今この原稿を京都で書いている。寺社を拝観し、庭園を散策して大きな感銘に浸っている所だ。しかし反省するのは時間がないせいもあり見て回るテンポが速すぎる事である。いつの間にか新宿の雑踏を進む歩調になっている自分に気づく。
 心地よいスイング感を身につけるためにはこれではいけないのではないだろうか。ここ京都にしばらく滞在し、鴨川の流れに耳を傾け嵯峨野の落ち着いたたたずまいに浸って「もっとゆっくり」を体感すべきなのかもしれない。

第75回  良いものは良い
 ライブ会場であるお客様から「高橋さんのジャンルはジャズの中の何ですか?」と訊かれた。ジャンルねえ、余り考えたこともなかった。
 一般論としてジャズの歴史を大雑把に捉えるとニューオリンズジャズ→スイングジャズ→モダンジャズと変遷をたどり、それ以後はフュージョンやフリージャズに行き着く。この流れの中でスイングからモダンにかけての移行期を“メインストリームジャズ”(正統派ジャズ)と呼んでいる。名前のとおり数多くの素晴らしいプレーヤーによる名演奏がある。私はこの辺のジャズを演奏する事が比較的多いので私のフィールドと言えるかも知れない。
 だがしかし歴史や呼称などはどうでも良いことである。私もこうしたジャズだけにこだわっている訳ではなくライブではニューオリンズでもモダンでも良いものはどしどし演奏メニューに入れている。
 かの有名なジャズの御大デューク・エリントンが名言を吐いている。“Good music is good music“と。つまり良い音楽は文句なく良いのである。私に質問されたお客様には「良いものは良いで余りジャンルにこだわる必要がないのでは。」と言うことで納得して戴いた。

第76回  ライブのウェア
 一流レストランやパーティではドレスコードと言って参加者や客の服装を規定する場合がある。店やパーティの品格を保つためである。
 ライブの演奏者には通常それほど厳格なドレスコードはないがある程度の規定は設ける事がある。最もフォーマルなウェアはタキシードである。リサイタルや公式行事、ホテルでのディナーショー等に着用する。チャージを戴く通常のライブでは大体ダークスーツにネクタイ着用が一般的であろう。中にはブレザーにノーネクタイと言った程度の軽いコードの時もある。逆に屋外のイベントやビアガーデンのような所ではアロハ等カジュアルウェアで統一する方が馴染みやすい。
 男性の場合はこの程度だが女性歌手だとそうは行かない。共演する女性歌手のコスチュームを見ているとかなり気を使い、努力の跡が伺えるのだ。中にはライブが決まると曲目より先にドレスを考える歌手もいるそうだ。彼女等が登場するとパーっとステージが明るく華やかになるのでそれだけの価値はある。
 たかが衣装、されど衣装、演奏には無関係だがお客様に好印象を与えるような気遣いは必要である。ウェアが決まれば演奏も少しはマシに聴こえるかもしれない。

第77回  ふぐの毒
 食通の間ではふぐは毒を少し残し、舌がちょっとしびれる程度の刺身が最高だそうだ。ジャズの場合、アドリブソロはコードに沿って行うのだが時にコードから外れた音を意識的に使うことがある。これをテンションと呼ぶ。テンションとは「緊張感のある」という意味である。ふぐの毒に相当するスリリングな音でミストーンとは紙一重である。
 ある高名なジャズマンは「もしアドリブソロの中でミストーンを出してしまったらその音を同じ曲の中で3回吹け、そうすればその音はミストーンでなくテンショントーンとなる。」と言っている。
 またデュークエリントンはテンションコードを多用するので有名である。在籍していたあるプレーヤーの話だが「エリントンの前でアドリブする時は絶対コードから外れていると思った音を思い切り出せ、すると彼は『今の音、良いね!』と褒めてくれる。」のだそうだ。
これらの挿話には多少誇張や皮肉がこめられているものの納得させられる点もある。しかしふぐの毒もテンションコードも一部マニアックな玄人好みの範疇であると言わざるを得ない。現実には毒を抜いた料理、無理なテンションを抑えた演奏がまずは無難であろう。

第78回  白丸を大切に
 ジャズの第一の魅力は言うまでもなく即興的に奏されるアドリブにある。しかしその対極には忠実なストレートメロディ(主旋律)をじっくり味わえるスローバラードがあり、こちらも捨てがたい魅力を持っている。
 ジャズの名手と言われる人たちはアドリブの名手であると同時にゆったりと歌い上げるバラードの名手でもある。テナーサックスの巨人、ジョン・コルトレーンはモード奏法によってハイテクニックなアドリブソロを完成させた人である。しかしその一方で晩年の“Ballad”では心の底から紡ぎだされるようなストレートメロディが深い感動を与えてくれる。
 昔先輩ジャズメンから「バラードでは白丸を大切にしろ」と教えられた。白丸とは2分音符や全音符のように長く伸ばす音のことである。つまりバラードをストレートメロディで演奏するには音数を少なくし、白丸の一音一音に全神経を集中する必要があるのだ。白丸の音を響かせるには音質、抑揚、強弱、などの基礎的な技術に加えて唄心が求められる。無神経な白丸では聴く人の心は捉えられない。
 ライブのメニューに私はスローバラードを必ず取り入れる。曲の最初に白丸を一音吹いただけでお客様に「良いなあ!」と感銘を与えられるようになれば本望なのだが。

第79回  マイビッグバンド誕生
 7月に私のビッグバンド「高橋三雄とシャイニーズ」の旗揚げ公演を行った。今回の公演は会場となったクリフサイドの音楽責任者であるT氏の発案により高橋のカラーを最大限に発揮したビッグバンドを・・・と言うコンセプトで結成された。
 先ずはメンバーの確保からスタートした。初見が利いて腕の立つ人、その上ボランティアに近い低ギャラに応じていただいたメンバーで構成された。これはT氏の絶大かつ広範な権限に負うところが大であった。勿論私の友人達にも協力を仰いだ。
 次に譜面の確保である。T氏や友人の方々の協力により私の考えにあった曲の譜面が確保できた。曲目の中にはデキシーランドスタイルのコンボ演奏等も挿入し変化を持たせた。またヴォーカルは硬派の古いジャズが狙いで声量豊かなB氏に依頼した。
 さてリハーサルは当日昼間の数時間のみで本番を迎えた。ほぼ初見であったが本番では信じられないような集中力を発揮し無事コンサートを終了したのである。当日は花火大会と重なったにも拘らず予想を超えたお客様の来場で満席となり会場は大いに盛り上がった。私は今回ほど共演した仲間、声援いただいた観客、陰で支えてくれたスタッフの暖かさを痛切に感じたことはない。音楽は私を支える仲間によって成立したのである。謝々。

第80回  賛美歌コンサート
 7月のクリフサイドでのビッグバンド公演に続き8月はガラッと変わって函館港ヶ丘教会で賛美歌コンサートを行った。出演バンドはニューオリンズスタイルで賛美歌を専門とする「サウンド・オブ・ベスパーズ」と高橋が所属する「DORAバンド」の2バンドである。
 観客は「ハイカラジャズツアー」と銘打ち、東京、名古屋、関西から参加のファングループと地元の信者の方たち。サウンド・オブ・ベスパーズの演奏はまさに賛美歌専門楽団だけのことはある。控え目な音によるハートフルな演奏で観客を魅了した。一方銅鑼バンドは普段スイング系を得意とするがこの日は雰囲気を変えて各人のソロやヴォーカルを前面に賛美歌に挑戦。高橋もこの日はクラリネット演奏に徹したのである。
 賛美歌は初期のジャズ発生の一要因でもあるので昔から大変親しみを感じている。信者ではないがライブのメニューにも良く加えてきた。
 今回のコンサート成功により今後も各地の教会で賛美歌コンサートを続けて行きたいなあと感じた。それにしても偶然とはいえ7月は横浜元町で坂の途中にあるクリフサイド、今回は同じく函館元町で坂の途中にある港ヶ丘教会。この様子では元町シリーズで来月は神戸・・・かな?

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