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横須賀オン・マイ・マインド

(横須賀のタウン誌 「朝日アベニュー」に毎号連載中のショートエッセイをそのまま掲載しています。)


第21回  幻のレコードと対面
60代以上の方ならご存知の方も多いと思うが、日本のジャズ界草分けのトランペッターで南里文雄さんという方がいらっしゃった。35年余り前になるが当時は脂の乗りきった時期で、大阪のニューオリンズラスカルズのライブには度々遊びに来られた。
 彼は眼がご不自由で店内では殆ど視力がないのであるが、店に入るや否や音を聴いただけで“お、高橋さんやってるね。“と店の人に言われたそうである。
 この店で共演した録音のレコードがあるらしいと聞いたのは十数年前のことであるがどこにあるかは皆目見当がつかず半ば諦めていた。所が今年の8月末のあるライブのあと、ファンの方から声をかけられ、“高橋さんが南里さんと共演されたレコードを私のお宝として持っているんです。“とそのレコードを見せてくれたのである。まさに“ごたいめーん”の瞬間であった。
 演奏は張りのある南里さんのトランペットを中心にしたラスカルズの演奏で、私のへたくそなサックスのソロも入っている。ライブの熱い観客の声援に支えられたホットな演奏で、35年昔にしばしタイムスリップしたのであった。

第22回  知識と知恵
 渡辺淳一氏があるエッセイの中で人間は知識より知恵を持てと主張している。知識は教科書や百科事典で得られるものであり、知恵はそれに情感や体験が加わり、その人の血となり肉となったものである。全く同感で、私はこのことがジャズについても当てはまると思い今回引用させていただいた。
 ジャズで言う知識とは譜面であり、コードである。ジャズマンは皆これを正確に早く駆使して演奏できるよう、努力することを義務付けられている。だがこうした知識を完璧にマスターしたからといって優れたジャズを演奏できるかどうかは全く別問題である。
 昔先輩からジャズの譜面は大河内伝次郎風に吹けと教えられた。この役者はせりふが途中から何を言っているか分からないしゃべり方だが実に個性豊かで味がある。楽器で言えばドシラソと吹かずドs〜〜oとボカして吹くのである。この教えのポイントは音にならない部分に情感を込めろということであり、コードや譜面といった知識を超越する。つまり情感、体験という知恵の領域に入ってくる訳で、ここで初めて聴く人に“ああ、良かった”と感動を与えることができるのである。

第23回  新宿トラッドジャズ祭を終えて
 11月中旬の2日間新宿トラッドジャズ祭が開催された。年々規模が拡大し、3年目の今年は22会場、出演バンドは65バンドに上った。当日は予報に反し、好天に恵まれて大盛況であった。
 近年ジャズ祭が各地で活発で、神戸、横浜や阿佐ヶ谷のジャズ祭も大変人気を呼んでいる。どれもその土地独特の持ち味を出しており、ジャズファンにはたまらない魅力的なイベントである。
 新宿のジャズ祭はその名の通りトラッドジャズ(古いジャズ)が中心である。何よりの魅力は狭いエリアに22会場がひしめいているので文字通り町内がジャズ一色になる事だ。あちこちからジャズが聴こえ、ニューオリンズのバーボンストリートの風情が漂う。その上ブラスバンドのパレードが更にムードを盛り上げるのである。
 もう一つの特徴はこの祭りが手作りであることだ。実行委員長のN氏を中心にミュージシャンといえども機材の運搬、設置、回収など全て自分達で行う。演奏はそれからだ。肉体的、精神的負担は大きいがそれだけに終わった後の達成感はまた格別である。
 ジャズの街横須賀にもこうしたジャズ祭登場を願って止まない。

第24回  ジャズと健康
 ジャズマンの生活は余り健康的とはいえない。ライブハウスの中は酒とタバコの臭いで一杯。帰宅はいつも真夜中近く、おまけに殆んどのジャズマンは無類の酒好きである。偉大なジャズの先人達の中には麻薬に蝕まれたプレーヤーも少なくない。イメージ的にも朝日を浴びてジョギングをする健康的ライフスタイルとは程遠い。
 こうした状況証拠とは別に現実問題としてここ数年にガンなどで50代の若さで亡くなったジャズ仲間は二桁に達している。いかに普段の生活が不健康だったかを如実に物語っている。
 下手くそであるがはつらつとしたプレイを心がける私としては健康には大いなる関心を持たざるをえない。年2回の健康診断、そして隔日のスポーツクラブ通いも欠かさない。それでもこの年になれば要注意項目は幾つか出てくるものである。殆どの項目は酒との訣別を迫っている。
 にも拘わらず新年の年頭に当たって威勢の良い“禁酒宣言”をする気は毛頭起きないのは困ったものである。年頭の所感としては“なるべく節酒をして、末永く美味しいお酒を飲もう“と誠に意気地のない目標に甘んじている。

第25回  お客様は神様
 自分のバンドライブに際して気になることは演奏曲目のこと、楽器のコンディション等色々ある。しかし最も気になることの一つはやはり客の入りである。
 一握りの名の知れたメジャーなプレーヤーは別にして、大変素晴らしいプレーヤーなのに思いの外客が少ないことも多い。つまり良い演奏さえすれば黙っていても客は入るという訳ではないのだ。客の多く集まるライブは演奏以外にも魅力があるからで、プレーヤーにも“営業力”が求められる。
 勿論、プレーヤーは自分の信念に基づき良い演奏さえしていれば良く客の入りなど関係ない!という考え方も一理ある。だがやはり人の子、閑散とした客席よりは大勢の観客を前にした演奏に熱が入るのはやむを得ないことである。営業力とは媚びる事とは違う。日頃の地道な広報活動等により先ずはライブ会場に足を運んでもらわなければならない。そして足を運んで戴いたお客様に“ああ良かったまた来よう“という気を起こさせる事つまり顧客満足度を高めるライブにする必要がある。使い古された言葉だが“お客様は神様”はライブの世界にも脈々と生きているのである。

第26回  いい音色を求めて
 ジャズの魅力はリズム、フレーズ、音色等から成るが、演奏を聴いて最初にインパクトを受けるのは音色(ねいろ)である。良いプレーヤーはその人独特の個性的な音色を持っている。これら3要素のうち、音色だけは感性、技術以外の物理的要因、つまり楽器や付属品の良し悪しが関係してくる。
 サックスに例をとれば、楽器本体、マウスピース、リード等である。この中でリードが特にデリケートで厄介な代物なのである。野球チームに例えればリードはピッチャーと言えるかもしれない。
 1箱10枚を購入すると半分以上は最初から使い物にならない。つまり1軍に上がれない。残ったうちの数枚が実戦に使用可能となる。調子がいいからと言って1枚のエースを酷使すれば潰れるのも早い。その日の体調や気候にも左右され、ブルペン(練習)で良くてもマウンド(本番)でKOということも稀ではない。だからいつもエースの他に数枚の控えを用意してライブに臨むことになる。
 こうして細心の注意を払った結果、体調、お客さんのノリ、リードの状態が上手くかみ合った時に始めて自分なりに良い音色で良い演奏が可能となるのである。

第27回  アイリメンバー中村喜美夫
 昨秋「横須賀ジャズ物語」と言う本が出版された。3月末のある日、この本の著者である太田稔氏にお目にかかる幸運を得た。太田氏は以前私がこのコラムで紹介したことがある天才アルト奏者で私の師匠の故中村喜美夫氏とも親しく、同書でも詳しく紹介されている。特に彼に関する世にも不思議な物語には感動を禁じえない。
 中村氏が亡くなる1週間前の日曜日に彼が太田氏の職場である文化会館の事務所にひょっこり現れた。グレーのスーツを着て椅子に腰掛けたがしばらくしてふっと無言で部屋を出て行った。いつもの眼鏡をかけていないし様子が変だが何か用事でもあったのだろうと余り気にも止めなかった。
 ところが1週間後葬儀の席で意外な事実を知る。1週間前には病院で酸素マスクをつけて危篤の状態だったと言うのである。あの時着ていたスーツは自宅に置いてあるので着れるはずもない。とするとあの日現れた中村氏は一体誰だったのだろうか・・・。彼が現れたという部屋を太田氏に案内され、胸に熱いものがこみ上げてきた。
 中村氏に哀悼の意を捧げると共に時間を割いて貴重なお話を聞かせてくれた太田氏に多謝である。

第28回  テンポいろいろ
 クラシックではアレグロとかアダージョ等作曲者のテンポ指定がある。それでも演奏は指揮者の解釈によって微妙に異なり、これが指揮者の個性の一要素ともなる。ジャズの場合は曲にテンポ指定はない。全て奏者に一任である。従って同じ曲でも奏者や場面に応じてテンポは全く異なり、当然曲想も変わってくる。曲のスタートはリーダーがカウントして入るのだがライブなどでは考えていたテンポと違う速さでスタートしてしまい、「いけねえ、遅すぎた!」ということもよくある。
 自分のバンドなら我慢するが、唄やダンスのバックだと事は重大である。しっとり唄おうと思った演歌のバックがちょっと早めになっただけで唄はめちゃくちゃになってしまう。ダンスだったら振りが追いつかなくなる。最近は携帯用のメトロノームがあり、正確なテンポが出せるが状況によってはそればかりに頼るわけにも行かない。バックバンドのリーダーはいつも次の曲のテンポのことを考えているといっても過言ではない。
 音楽性以前の問題としてバンドリーダーはメトロノームを体内にセットし、正確なテンポを出す事も重要な資質の一つなのである。

第29回  前頭葉を鍛えよう
 作家や漫画家が作品を創作する時にはあらすじが決まったらあとは前頭葉(脳の中で創作、感性を司る部分、正確には前頭前野という)に浮かんだ文章や絵を用紙に書きなぐって行くらしい。頭で考えていたのでは仕事にならないし、良い作品も期待できないのだ。
 ジャズの醍醐味はアドリブ演奏にある。アドリブとは一言で言えばコードに沿って瞬間的に作曲を繰り返す作業であり、基本的には作家の創作活動と変わらない。前頭葉をフル回転し、浮かんだフレーズが楽器からほとばしり出るようなら申し分ない。ただライブは観客やメンバーとの共同制作であり、特に観客のノリや声援が力強い後押しとなることは否めない。
 技術不足はこの際棚にあげて自分の演奏を感性面から考えると、常日頃から前頭葉を鍛える必要がありそうだ。ある脳学者の話によれば音楽のみに止まらず、絵画、本、スポーツ、自然等あらゆることに感激し、心動かす。こうした感情の起伏が何よりも前頭葉活性化に有効だそうである。
 というわけで最近は楽器の練習を犠牲にしてでも新しい刺激を求めて夜の盛り場に繰り出すのである。あれ?こりゃあ関係ないか。

第30回  曲選びあれこれ
 ライブで何の曲をやるか、これはいつも一番悩むことである。ライブの客層や雰囲気によっても異なる。先輩ジャズマンの中には「全てその場で考える」という名人もいるが私の場合はサイドメンの都合も考え、事前準備派である。
 ライブは大体3ステージとすると大体18曲程準備する。「知っている曲が少なくてライブはつまらなかった」という声も良くあるが、逆に余りポピュラーな曲ばかりでは物足りなさも残る。玄人受けする曲もなければライブが締まらない。この辺の按配が難しい。
 私が心がけている選曲のポイントは先ずテンポの変化である。速い曲ばかり立て続けではせわしないし逆にスローバラードも2曲続けば飽きる。また調子(例えばCとかBbとか)の選定も大切でなるべく同調が2曲続かないようにする。同じテンポや調子を避ける事で新鮮味を出したいのである。
 その他にその時の季節感を盛り込んだ曲(サマータイムや9月の雨、枯葉など)を随時取り混ぜるとお客様も楽しく聴けるのではないかと思う。このようにお客様に喜んでいただける曲選びの中に自分の主張なり挑戦する姿勢がキラっと光れば理想的である。

第31回  ジャズの一歩はコピーから
「アドリブはどうやってマスターするの?」との質問を時々受ける。方法は人様々だが私は「先ず最初にコピーありき」と思っている。先日、NHKの番組で秋吉敏子さんもスイングやモダンの巨匠ピアニストの演奏を徹底的にコピーしたと語っておられた。
 アドリブは決してでたらめを演奏する訳ではなくコードに沿ってフレーズを作るのだが余りコードにばかり拘り、頭で組み立てると誠につまらないソロになる。そこへ行くとジャズの巨匠のアドリブは実に味わい深く、かっこいいのだ。コピーを通じてこのかっこよさを懸命に追い求めるのである。
 ジャズを始めた頃は練習でいきなりソロをやらされた。コピーである程度感覚を掴んでおくとフレーズはでたらめ臭いが何とか格好がつくようになる。これって水泳を教えるのにいきなりプールに放り込むのに似た方法ではあるが。
 自分のスタイルや好みは年と共に変わってくる。それに応じて影響を受けるプレーヤーも変遷していく。然し、最初に徹底的にコピーしたプレーヤーの影響はいつまでも体の隅に残っているのである。まるで「初恋の人」の思い出のように。

第32回  ジャズとトーク
 ライブなどで曲の合間の司会やトークはライブに必要不可欠という訳ではないが、これの上手下手でライブの雰囲気は随分変ってくる。いわば料理の隠し味とも言うべき役割を持っている。
 トークに対するプレーヤーの考え方ははっきり分かれる。話で客席を盛り上げる人から終始寡黙で客席に半ば背を向けてただひたすら演奏するタイプまで様々である。「ジャズライブなのだから余計な事言わずに演奏だけしてれば良い。」と言う意見も分からぬわけはない。だが私の場合、お客様はジャズ通ばかりではなく初めての方も多いのである程度の解説は必要だと思っている。曲の由来や歌詞の意味等が分かれば多少は興味が増すというものだ。
 トークのもう一つの効用は曲間の息抜きである。BGMなら別だが、立て続けに演奏されたのではゆっくり飲食も出来ない。少しは店の売上にも貢献しなければならないだろう。
 話の面白いプレーヤーのライブは概して人気があるようだ。但しあくまで良い演奏あってのトークであり、ライブ後の感想で「話がとても面白かった」というだけでは素直に喜べないのである。

第33回  映画「スイングガールズ」を観て
 「スイングガールズ」はジャンル分けすれば青春音楽映画とでも言うのだろうか。あらすじは田舎の女子高生が授業をサボるためにジャズバンドを結成し、途中、様々な苦難を乗り越えて最終的にコンサートで大成功を収める、という他愛ないストーリー。話の展開や女子高生の演技に一部“あれっ”という面もあるにはあるが、アラ探しをしなければ非常に爽快な印象が残る映画であった。
 出演者は全員楽器の初心者ばかり。毎日の練習と2回の合宿で猛特訓し、1年足らずであの見事な演奏を実現した「実話」に映画のストーリー以上の感激を覚えた。
 撮影ロケ終了後の打ち上げでは女子高生役の出演者全員が感激で涙、涙の連続だったそうである。私自身の中学生のブラスバンド時代の経験とダブらせて最後の「シングシングシング」には思わず熱い物がこみ上げてきた。あの達成感、嬉しさは察するに余りある。館内を見渡すと若い高校生と思しき男女の客が多いのが目立った。この観客の中から少しでもジャズや楽器演奏の魅力に目覚める若者が出現してくれることを期待しつつ、潤んだ瞳の乾くのを待って映画館を後にした。

第34回  レパートリーのはなし
 レパートリーとは「いつでも演奏できる曲目」の意味である。音質や演奏テクニック等、音楽の質に対し、レパートリーは量的なキャパシティの広さを意味する。ミュージシャンであればレパートリーは多いに越したことはない。
 昔「トリスジャズゲーム」という番組があり、レギュラーバンドのBIG4が場内から受けたリクエストをどんな曲でも簡単な打ち合わせで完璧に演奏したのには舌を巻いたものである。メンバーの高い音楽性と豊富なレパートリーのなせる技であり、長年私が密かに目標としてきた芸当である。
 ジャズの場合のレパートリーは譜面も使うがストックは基本的には頭の中の引出しにある。従って出し入れは自由。但し一度聴いたら忘れないという技能もないとレパートリーは増えない。
 ライブではある程度やり慣れているか、または練習してこなれた曲を演奏する事が多い。所がリクエストを受けたり、フッと思い出して急に演奏したくなったりして引き出しの奥から曲を引っ張り出すとこれが意外に良い演奏で観客へアピールすることがある。不思議なことだ。だからジャズは面白くて止められない。

第35回  環境とDNAとホットジャズ
 私の生家は横須賀の外れにあり前が国道16号線、後は京浜急行。おまけに踏み切り脇とあって文字通り朝から晩まで騒音に囲まれていた。たまに泊った友人達は朝方一番電車に起こされ、大型車の振動を地震と勘違いし、散々な思いをして帰って行った。
 実家の両親は二人揃って民謡を習い、晩年まで下手な歌を歌いまくっていた。私には音楽の「才能」はないが、「音楽好き」というDNAだけは確実に流れている。
 こうした環境とDNAが私をホットなジャズに向かわせたのかもしれない。ホットなジャズを言い換えるとスイング感のあるジャズのことである。子守唄代わりに聴いた電車の振動と踏み切りの鐘の音がリズム感として体に染み込んだと言ったらこじつけだろうか。
 実はこのホットジャズ好みのお陰でアメリカ演奏旅行の際、随分得をしたようだ。アメリカではスイング感のあるプレーヤーは大モテ。各所で大きな拍手をもらった私は、大いにノリまくりすっかり自信をつけてしまったのである。私はこれからも環境とDNAによって育まれた性格を大切にしていつまでもスイングするプレーヤーでありたいと願っている。

第36回  初心忘るべからず
 野球やサッカーでは練習の一環にランニングは欠かせない。ウォーミングアップに、オフの体力作りにと常に走りこむ。ランニングは体力作りの基本なのだろう。管楽器演奏の場合、極意は管を充分に振動させ、良い音を奏でることにある。運指はその後の問題である。それにはまず歌口から息を効果的に吹き込まなければならない。従って練習はロングトーン(一つの音を長く出す事)が基礎となる。つまりロングトーンとは丁度スポーツでいうランニングに相当するのである。所が基礎練習というのは何事もそうだが、単調で苦しく、面白くもおかしくもない。そこである程度慣れてくるとどうしても辛い練習は手を抜きたくなるのが人情である。少しくらいサボっても当面目立った影響はない。然し逆にこの地味な練習の継続が長期的には音質の向上につながるのだ。
 そこで新年は「初心忘るべからず。」ロングトーンの練習に一層力をこめようとと毎年改めて心に誓うのである。
 今回は新年を意識し、若干固い話になってしまいました。今年もまたご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。

第37回  私じゃない、ぬれ衣だ!
 今でこそ私はジャズ一筋であるが学生時代にはクラシックのオーケストラにも参加していた。オーケストラの魅力はメンバーに可愛い女子学生が大勢いた事で合宿にも積極的に参加したものである。また当時は音大の生徒やプロが多数応援(トラという)に来ており、名手達と親しく共演できるのも楽しみの一つであった。
 そんなある日、G大の女子学生でオーボエの飛び切り上手いトラが来た。彼女と私は隣の席、後の列には私の先輩の金管奏者で無類のいたずら好きが2名いた。先輩たちは彼女がちょっと生意気だというので休み時間に私も知らぬ間に彼女の楽器にそっと紙を詰めた。練習が再開し、いざ吹こうとしても一向に音が出てこない。悪戦苦闘している彼女に私は「そうして紙詰めて吹くんですか?」と無邪気な質問をした。その時無実の私に向けた彼女の憎悪と軽蔑に燃えた目は未だに忘れられない。
 何年後かにテレビを見てあっと驚いた。日本の一流オーケストラの定期公演で、主席のオーボエは何とあの紙詰め奏者だったのである。未だにテレビで彼女の颯爽たる演奏姿を見るたびにあのぬれ衣の一件をまざまざと思い出す。

第38回  頑張れ、ビッグバンド
 ジャズには大別すると大人数の編成から成るビッグバンドと数人編成のコンボバンドがある。クラシックで言うオーケストラと室内楽の違いのようなものだ。
 昔はどんな地方都市の盛り場にもビッグバンドの出演する店があったが嗜好の変化により衰退し、今ではプロのビッグバンドはごくわずか。しかも残っているビッグバンドも時々ある仕事の都度メンバーを寄せ集める有様なのだ。
 しかし、ビッグバンドが消滅した訳ではない。今やその主流はアマチュアに移り、アマチュアビッグバンドは花盛り。バンドの数が多いだけではなくその演奏レベルの向上は目を見張るものがある。私もビッグバンドに参加している一人だがその運営は想像以上に困難を伴う。メンバーの補充、練習場の確保、譜面の入手等音楽以前の苦労も数限りなくある。にも拘わらず精力的に活動するバンドが多いのは心強い限りだ。
 こうした状況がジャズファンの開拓につながればこんなに嬉しいことはない。昨年封切られた映画「スイングガールズ」のヒットも一翼を担っている。私は心底これらのバンドにエールを送りたい。フレー、フレー、ビッグバンド!

第39回  ミスしてもいいじゃないか
 フジコ・ヘミングと言えば人気実力共抜群のクラシックピアニストで彼女のコンサートチケットはいつも入手困難である。その彼女がエッセイの中で「間違ってもいいじゃない、機械じゃないんだから」との名言を吐いている。
 一方、ルイ・アームストロングと言えばジャズでは今でも大きな尊敬を集めている伝説的なトランペッターである。そのルイが1947年のタウンホールコンサートで何を勘違いしたか曲を間違ってスタートし、もう一度やり直しているのだが、その時の演奏は歴史に残る名演となっている。演奏上のミスはないに越した事はないがたとえミスがあっても質の高い音楽の価値は損なわれるものではないと言う事を上の2例は物語っている。
 最近の録音技術はすばらしいもので殆んどのミスは編集作業で消去、修正して無難な演奏に仕上げられている。しかしミスが目立たないからといって良い演奏であるかどうかは別問題なのである。とは言え、上記の2人は紛れもない大家だからこそ許せるご愛敬であり、我々はミス撲滅を目指して日頃から切磋琢磨しなければならないのは言うまでもない。

第40回  映画”Shall We Dance?”を観て
 米国版”Shall We Dance”を観た。ストーリーは中年のサラリーマンが帰宅途中ダンス教室の窓辺にたたずむ美女に憧れて入門するが次第にダンスそのものにのめりこみコンクールに出場するという話。結末は伏せるが周防監督の原作を大変忠実になぞっている。
 原作をご覧になった方は両方の比較をしながら観るのもまた一興である。原作でのヒロインはバレリーナ出身の草刈民代で悪くないが、個人的好みからすると米国版のジェニファー・ロペスがとても魅力的。素晴らしいプロポーションでダンスもすごくセクシー。
 圧巻はコンクール前夜灯りの消えたスタジオでリチャード・ギアとタンゴを踊るシーン。ジェニファーにリードされて2人は絶妙なダンスを展開する。ゾクゾクするほど感動的なシーンであった。
 その時ジェニファーが「感じるままに動いて」とリチャードに指示する。更に踊り終わった後翌日のコンクールでも「命の通った踊りを」と授けるのだ。確か原作でもダンスコーチが「音楽を体で感じ、心で踊りなさい。」というシーンがあった。ダンスもジャズも共通するものがあるんだなと痛感させられたのであった。

過去のエッセイ

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−第21回から第40回
−第41回から第60回
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−第81回から第100回
−第101回から第120回
−第121回から第140回
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