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横須賀オン・マイ・マインド

(横須賀のタウン誌 「朝日アベニュー」に毎号連載中のショートエッセイをそのまま掲載しています。)


第101回 悪魔の角笛
 「悪魔の角笛」・・・サクソフォンはこの世に登場して以来このように呼ばれてきた。サクソフォンは1844年、アドルフ・サックスにより開発された。楽器が登場してからわずか170年、もっとも若い楽器でありながら今では最も多く使用される楽器のひとつとなっている。
 アドルフ・サックスと言う人は大変優秀な楽器職人であると同時に精神的にもタフな人だったらしい。開発段階では仲間内から妨害を受けたり事故にあったりしながらそれにもめげず新楽器開発にこぎつけたのである。
 そもそもこの楽器が「悪魔の角笛」と言われて忌み嫌われた原因はその音質にある。この楽器は“淫ら”で“下品“で”扇情的“な音とされ、オーケストラや宗教関係者から猛烈な非難を浴びたのである。
 20世紀に入りサクソフォンはアメリカに渡り、ジャズを中心に爆発的に普及を始めることとなる。サクソフォンの特徴は良くも悪しくも演奏者によってそのサウンドが異なる点にある。ジャズの巨人たちのサウンドは皆千差万別、それぞれの個性を発揮している。彼らは皆一様にサクソフォンの魔力の虜になった人達である。
 私もこの楽器の魔力に取り付かれた一人なのだ。これからも「悪魔の角笛」を生涯離さないだろう。

第102回  ライブの選曲
 ライブを前に考えなければならない最大のポイントは選曲だろう。お客様のニーズを掴み喜んでいただけるようなプログラムを組み立てることは大変重要な作業である。
 先日自分のライブで始めてお客様へのアンケートを行った。このライブは毎回いらしてくれている固定客の方も多く、マンネリを避けるためにもお客様の要望を確認する意味があったのである。
 演奏した曲の中で比較的好評だったのは賛美歌を始めとして古い曲でもメロディのきれいな曲が多かった。また今後聴きたい曲には映画音楽が最も多かった。具体的な要望曲の中にもかなり映画音楽が含まれている。主たる客層である中年以上の方にはスクリーンの思い出と共にその主題歌のメロディが頭に焼きついているのだろう。今後の選曲上大変参考になった。
 ただこうした要望曲ばかりでライブを構成することには不賛成である。良くプレーヤーがライブの冒頭に客からリクエストを取り、それに沿って進行することがある。これは客の意向を重視するというより事前準備不足のイージーな対応と見られても仕方ない。やはり奏者が今日聴かせたいという主張も加えないとプログラムは締まらないのではないだろうか。

第103回  ラテン音楽の魅力
 ラテン音楽と一口に言ってもその種類は大変豊富である。マンボ、ルンバ、サンバ、チャチャチャ、タンゴなどなど。私が小〜中学生の頃最初に興味を持った洋楽は当時流行ったペレス・プラドのマンボであった。特に「闘牛士のマンボ」は大好きでその頃から将来はサックスを習ってこの曲を演奏したい・・・という夢を抱いたものである。
 ラテン音楽の魅力は何と言っても体を動かしたくなるような強烈なリズム感にある。ジャズやポップスでは概してリズムを重視するダンス型からメロディの複雑なリッスン型の方向に移り変わってきた。それだけに単純なリズムのラテン音楽が我々を強く惹きつけるのである。
 更にラテン音楽は他のジャンルにも多大の影響を与えている点は見逃せない。例えばジャズにおけるボサノバの浸透などもその顕著な例であろう。ニューオリンズジャズにもラテンのリズムを取り入れた曲が少なくない。日本の歌謡曲もラテンリズムの影響を大いに受けている。
 今年9月に三重方面に演奏旅行の際、出演6グループは必ずラテン音楽を1曲入れるというプログラムを作った。観客の反応は上々で場内は大いに沸いたのである。これからもライブでラテン音楽を積極的に取り上げていきたいと思っている。

第104回 ライブの時間管理

 ライブは1ステージの限られた時間内で盛り上がるよう曲を配列し効率良く演奏しなければならない。自分のバンドだけなら多少時間が前後しても休み時間や終演時間を調整すれば済むかもしれない。しかし複数のバンドが演奏するジャズ祭などでは一つのバンドが時間をオーバーすると後のバンドに多大な迷惑がかかる。
 大体経験から演奏曲数は決められるはずなのだが中にはもう時間が来ているのに「あと1曲・・・」などと無神経に準備してきた曲を全部こなすバンドもある。時間管理の意識が乏しいのではないだろうか。
 時間の誤算の原因の一つには曲間の時間の見誤りがある。1曲が終わって次の曲までの間には若干のMCも必要である。簡単に曲目を言うだけでも1分はかかる。まして曲の解説やメンバー紹介をすれば最低2分はかかる。1ステージ合計では10分は簡単に消費する。30分ステージでは私のバンドの場合MCを簡素化しても大体4曲が精一杯である。
 もう一つ時間管理の側面から見て気になるのはライブ開演時間である。開演時間になってもダラダラと演奏者が雑談していたりするとすごくイライラする。定刻に“バーン”と最初の曲の音が出ると何かすごく快適でスッキリした気分となる。これは私がA型人間だからかしら?


第105回 クラシック音楽の効用

 最近の世界のトピックニュースで面白い記事があった。ニュージーランドのクライストチャーチと言う街で犯罪多発への対策としてモーツアルトの音楽を街頭で流した所犯罪が激減したというのである。反社会的犯罪はモーツアルトを流し始めた2年前から一挙に90%も減ったそうで、これが本当なら他の都市でも大いに採用すべきであろう。
 以前このコラムでもクラシックがバイオテクノロジーや医療分野で効果を発揮するということを書いたことがあった。だが犯罪抑止効果は全く新しい効用である。しかしこのことからクラシック音楽の素晴らしさが万人に受け入れられたと解釈するのは早計である。
 アメリカのある街では車でラップをデカイ音で流し軽犯罪法で逮捕された若者に150ドルの罰金を課した。但しクラシックを20時間聴けば罰金は35ドルにするとした。所がこの若者はたった15分で「こんなの音楽じゃあない。」とギブアップ。クラシックを連続して聴く苦痛よりは罰金150ドルを払う方を選択したそうである。
 こうしてみるとクライストチャーチの若者たち(犯罪者も含めて)はクラシックを聴いて行儀良くなったのではなくクラシック音楽のない他の街に「疎開」したのかもしれない。


第106回 クラリネットの魅力

 ジャズの歴史上ではクラリネットという楽器は大変重要な地位を占めていた。まずニューオリンズジャズやデキシーランドジャズではトランペット、トロンボーン、クラリネットが定番の3管であった。そしてスイング時代にはベニーグッドマン等によってジャズ・クラリネットの全盛時代を迎える。
 しかしその後、木管楽器はサクソフォンが主流となりクラリネットはマイナーな楽器になってしまった。その理由はサクソフォンの方が音量もあり、音自体の説得力に優れているからである。更にサクソフォンにはソプラノ、アルト、テナー、バリトンとそのバリエーションも豊富でそれぞれがその存在感を保っている。
 私はこれまでもビッグバンドでは必要に迫られてサックスとクラリネットを持ちかえで演奏していた。所が今年ニューオリンズに行って以来、その魅力に再びはまってしまった。そこで新年から再度クラリネットに挑戦してみたいなあと考えている。
 クラリネットのジャズには数々のハンディがあり、楽器演奏上でも難しさはある。だがしかしあの素晴らしい音色の魅力は何にも変えがたい。新年からクラリネットでニューオリンズの古い曲をやってみよう!


第107回 ピアニシモの大切さ

 調律師の高木裕さんが語ったこととして「天声人語」からの孫受けである。「ピアニストの腕前を測る鍵の一つは小さな音である。・・・美しく粒の揃った小さい音こそが表現の幅を広げる。」名言である。ピアノに限らず音楽全般に共通して言えることではないだろうか。
 最近の音楽は電気楽器による増幅が多い。広大なアリーナや競技場でやるコンサートでは電気機器の技術を駆使し、大音量で音を流さなければ観客にアッピールはできない。そうした大音量音楽がもてはやされる。
 競技場のコンサートで聴くだけならまだ良い。最近は電車の中のヘッドフォンでも隣に聞こえるような大音量で聴いている若者が多い。更に車の中で大音量にボリュームを上げ窓を開けて走るバカもいる。精神的に病んでいるとしか思えないのだ。
 勿論音楽であるからクライマックスにはフォルティシモで聴衆に多大の感動を与えることも大切である。しかし音楽とはそもそもピアノがあってフォルテがあり、その対比によって人間に感動と心地よさを与えるのではないだろうか。「耳に飛び込む音」だけではなく「耳を傾ける音」にもう少し神経を使いたいものである。 


第108回 譜面の管理

 ライブで使用する譜面の管理は目下最大の悩みの種である。自分では譜面を見ないで演奏する事が多いがバックのメンバーには配布することにしている。従って予定曲が決まったら先ずは譜面準備からスタートする。1曲につき4〜5枚ずつコピーを取っておく。
 一口にライブと言ってもよそのバンドにいわゆる“乱入”の場合はまだ楽なのだが自分がリーダーのライブではその辺の準備が大変重要となってくる。大体一月に演奏する曲は100曲くらいあるが一部重複や譜面不要曲があるので50〜60曲くらいの譜面が必要となる。それを各4枚としても合計200枚以上となる。これらをライブが終わるたびに整理して譜面棚に格納するのだがこの作業がえらく面倒くさい。
 カルタ取りのようにアルファベット順にダーっと並べていくのだがちょっと2,3回放置するともうごちゃごちゃで訳分からなくなる。全部が全部格納するのならまだ良いのだが一部は次にも使おうなどと勘案しながら整理していると一向に片付かない。
 ミュージシャン仲間にその辺のノウハウを訊いたりするが人それぞれで絶対的に良い方法はないようである。誰か譜面整理をしてくれる「私設ライブラリアン」がいないかしら。勿論無給で。


第109回 ソロをかっこよく

 楽器を演奏する者にとってソロの魅力は捨てがたい。特にセンターマイクでスポットライトを浴びながらソロを吹く事は楽器奏者の夢である。その上万雷の拍手を戴けたら最高の栄誉なのだ。特にビッグバンドではその気持ちはいやがうえにも高まる。
 所がアマチュアのビッグバンドなどでは折角こうした機会を与えられながらその機会を上手く活かしていない例が数多く見受けられる。ソロ直前にマイクに走り寄ってうつむき加減でソロを行い、終わると首をひねりながら戻ったりする人を良く見かける。演奏内容は別にしてもっと堂々と演奏して欲しいなあとつくづく感じるのである。
 まずセンターマイクでソロを取る場合は予め自分の席からマイクまでの移動時間から逆算し、余裕を持って席を立ちゆっくりとマイクに近づく。マイクの前に立ったらまず会場全体を見渡す。できることなら2階席を見上げるくらいに顔を上げたほうがよい。ここで深呼吸する。
 更にマイクと楽器の位置はとても大切である。概してマイクに遠すぎて余り音が良く入っていない場合が多い。自分でマイクの高さを調整するゆとりが欲しいものである。そして演奏が終わったら上手く行こうが行くまいがゆっくりと自信たっぷりにお辞儀をし、悠々と席に引き上げる。そうすればやんやの喝采間違いなしである。


第110回 小節(こぶし)の魅力

 先日テレビを見ていたら人気の女性演歌歌手が3名で演歌の小節について語り合っていた。同じ曲でも3人の小節の回し方が全く違う点が興味深かった。演歌では小節こそがその曲や歌手の特徴を表わす最大の武器になる。演歌歌手の唱法が皆違って当然なのである。
 ジャズの世界でも同じことが言える。但し小節ではなく“ビブラート”と言う技術である。ビブラートとは音程を波のように振るわせる技術のことであり、その奏法は教科書的には定められている。
 かつてスイングジャズの時代にはビッグバンドで全員が同じビブラートで演奏することを義務付けられた。今でも人気のあるグレンミラー楽団などではサックスセクションが全員揃ってビブラートを付けることにより美しいハーモニーを作り出したのである。
 しかしコンボで各人のソロが強調されるようになると各奏者は千差万別、個性的なビブラートを駆使するようになる。特にバラードで白丸(2文音符や全音符)が多くなると音質、抑揚、ビブラートで曲の味わいを表現するようになった。演歌の小節、ジャズのビブラートは曲の味付けの上で重要な“だしの素”であり、個性の源となっているのである。


第111回 楽器演奏で老化防止
 毎日配信されているメルマガに「楽器演奏していると老化が遅くなる・・・」と言う記事があった。それによると「45〜65歳で楽器を演奏している人たちは、同年代のそうでない人たちよりも記憶力と、雑音の中でスピーチを聞き分ける能力が高かった・・・」とある。
 またアメリカイリノイ州にあるノースウェスタン大学の聴覚神経科学研究所の実験によると「楽器を9歳以前に始めた人や1つの楽器を生涯を通じて演奏し続けている人は楽器を触れてない人よりもずっと優れた聴覚、視覚能力を発揮した」そうだ。
 この記事からは聴覚は発達するが老化を防止するとは明言されていない。第一雑音下で音を聞き分けられたって余り実生活上の効用はないと思う。私も「楽器を継続して演奏している」一人ではあるがこの記事から「私は老化しにくいのだ!」などと胸を張ることはできない。
 ただ老人同士の会話を傍で聞いているとお互いに殆ど相手の話を聞いていず二人が勝手に自分中心に意見を述べるシーンを見るにつけ、私はなるべく人の意見を聴いてしゃべろう!と感じることはある。楽器をやっている効果はせいぜいその程度のものなのかもしれない。

第112回 楽器のご機嫌
 楽器と言うのは本当に気まぐれで気難しい代物である。昨日は良かったのに今日は鳴らない。朝の練習では良かったのに夜のライブではご機嫌斜めなどと言うことはしょっちゅうである。(陰の声;女性みたい!)
 楽器の調子を左右するのは本体以外のパーツである。マウスピース、リード、リガチャー(リードの留め金)が3種の神器である。特にリードの調子は音を決定付ける。また外的要因にも影響を受ける。気温、湿度、気圧などだが特に湿度には敏感に反応する。
 ただそれ以上にご機嫌を左右するのはメンタルな要素だろう。何となく気分が乗らない、緊張感が高い、それに体調が悪く眠いなどの時には調子が悪い(当たり前であるが)。こういう時には第2ステージから良くなることもあるので余り諦めずにご機嫌の回復を待つことにしている。
 「楽器は鳴らすものではなく響かせるものである。」という名言がある。楽器が良く響くと気分が高揚し、フレーズが紡ぎだされるように出てくることがある。いつも楽器が機嫌よく響いてくれるようにするには何と言っても楽器のご機嫌に配慮して「日々の練習あるのみ」である。

第113回 気仙沼の思い出
 気仙沼は今回の震災で激甚災害を蒙った街のひとつである。被害の惨状を画面で見るにつけ胸が痛むが私にとっては50年前この街で行ったコンサートの苦い思い出が頭をよぎるのである。
 当時私は大学2年生、ブラスバンドでクラリネットを吹いていた。毎年夏は各地を演奏旅行するのであるがこの年は東北地方であり、その晩の会場は気仙沼港の一隅に設置された野外ステージであった。
 コンサートは大勢のお客様を迎えて順調に進行し佳境に入って迎えた曲目は“民謡筑紫の旅”というメドレー物であった。途中ドラムのソロに乗ってクラリネットがソロでメロディを奏でるアレンジ。所がソロ奏者の私は入り口を見失って入り損ねてしまったのである。延々と続くドラムソロ、冷や汗びっしょりとなった。
 しかし何とか窮地を脱し、コンサートは無事終了。後片付けを終えて宿舎に入ったのは11時を過ぎていた。すると先輩から「全員広間へ集まれ」の指令。この席で上級生からこっぴどく説教を食らったのである。先輩の叱責はミスそのものよりも「ミスは観客に分からなかったのでは・・・」などと浮かれる事が観客を愚弄しているとのこと。全く反論の余地はない。私一人のミスのためにメンバー全員が集められて叱責を食らってしまい、誠にいたたまれない気持ちであった。私はあの時の先輩の教訓は未だに忘れられない。

第114回 耳から学ぶ
 作家の浅田次郎氏が「どうしてあのように次から次へと作品を書けるのか」という問いに対し「本を沢山読むこと」だと語っていた。勿論元々際立った文才があってのことだろうが大いにうなずけるのである。  クラシックの場合は譜面と言うレールがあるので演奏技術を向上することが最優先となる。ジャズの場合、アドリブと言う厄介な代物がある。演奏技術を上げることは勿論大切であるがそれだけではなく演奏上では個性をアドリブという方法で表現しなければならない。
 アドリブとて理論的な構築は必要でコードを守ることは必要不可欠であるが理論だけ追いかけるとなんともぎこちない演奏となってしまう。まさに「畳上の水練」だけは避けねばならない。 そのためには先人の名演を聴くということが大変重要である。
 若い頃はただ闇雲にフレーズを片っ端からコピーしたがやはり大切なのはフレーズだけではなくニュアンス、間の取り方、息遣い、アクセントなどを聴き取ることにある。 更にそうした学習上の観点だけでなく名人たちの演奏はいつ聴いても心地よく心洗われるものである。本物を楽しむことで自分の演奏にもジャズの香りが身につけばこれに越したことはない。と言うわけで最近益々耳学問に傾注しているのである。


第115回 曲名の誤訳
 ジャズのスタンダード曲の中には原曲についた標題が日本語に誤訳されてそのまま定着してしまったっものがあり結構気になってしまう。
 一番良く目に付くのは“As time goes by”で一般的には「時の過ぎ行くままに」とされていることが多い。しかしこの曲名の本来の意味は「時(代)は過ぎても(恋は変わらない)」という意味が正しい。演歌的発想から言えば「恋は神代の昔から」という意味合いだろう。
 また平原綾香がN不動産のCMで歌っているG・ガーシュインの名作“Someone to watch over me”を「誰かが私を見つめている」とする訳も全く違う。”watch over…“が”someone“ を修飾していのは中学生でも分かる英語の基礎である。そして”watch over“は辞書を見れば見つめるより見守るという熟語なのは明らかで全く意味が違ってくる。むしろ時々見かける「私の伴侶」の方が意味としては近いようである。
 一方ミュージカル“オクラホマ”挿入歌である“People will say we’re in love”は「私達が恋仲なのは噂になるでしょう・・・」なんていうのは余り長ったらしくてサマにならないが「粋な噂を立てられて」という邦題は“粋”な意訳といえる。
 理屈っぽい話になって恐縮であるがたかが曲名、されど曲名である。気の利いた“意訳”は大いに歓迎するが“誤訳”はご免蒙りたい。

第116回 人生はリズムだ
 ジャズに限らず、広く音楽に関してはリズムが最も重要な要素であることは当然であり、リズムなくして音楽はありえない。特にジャズでは強烈なビートに醍醐味を味わうのである。
 しかし音楽に限らず広く人生にはリズムがあるのではないだろうか。宮本武蔵も「五輪書」の中で言っている。「物事には全て拍子と言うものがある。武芸のみならず昇進、落魄、成功、挫折など全て拍子によって動く―中略―発展に向かう拍子と衰微に向かう拍子を弁別しなければならない」剣豪なのに人生のカウンセラーそのものである。
 先日「渋滞学」と言う講義を聴いた。高速道路で車間距離を適度に保つと渋滞は劇的に改善されるそうである。逆に詰めすぎると一見早く目的地に着くように感じるが渋滞が増し到着地に着くのは遅れてしまう。この一事も全体のリズムキープの重要性を物語っている。
 毎日の生活の中でもテンポ良く文字通り“トントン拍子”で事が運ぶ時がある。だが逆にギクシャクと前進が阻まれる時もある。だから今が衰微の拍子かな・・・と思ったらちょっと休止符を挟み拍子をずらす余裕を持ちたい。これぞジャズ流極意“シンコペーションの術”である。


第117回 追っかけの日々
 私の学生時代は今でこそ伝説上の人物となっているジャズの巨人達がまだ健在で活躍中であった。そのプレーヤーが来日するたびに演奏会場だけではなく行く先々で追っかけをやったものである。
 まずは幻の名盤と言われた“ハックルバック”というレコードのトランペット奏者、バック・クレイトン。この人はラッパの演奏もかっこ良かっただけでなくすごい2枚目。当時セクシー女優のベティ・グレイブルと浮名を流していただけあって帝国ホテルのロビーで握手した時は男の私でもゾクッとした。女性だったら皆メロメロとなったに違いない。
 そして名トロンボーン奏者のヴィック・ディケンソン。当時彼のレコードを毎日擦り切れるほど聴いており彼のフレーズは全てそらんじていたので彼をホテルの一室に訪ねた時には話が弾んだ。楽器のこと、演奏上のこと、それと共演者の話等など。小1時間ほど話し込んだ。
 そして極めつけは学生時代最後の夏に広島公演まで追っかけたクラリネットのジョージ・ルイス。警備の手薄なのを幸い楽屋に潜入し、色々な話を聞かせてもらった。そして別れ際にリードをもらった。後年彼の死後ニューオリンズ名誉市民章受章の際にミシシッピの対岸にある彼のお墓までパレードを行い、ささやかな恩返しができたと思っている。
 貧しい英語力にもかかわらず音楽の話になるとスムースに通じるのが不思議であるがこの経験は後年アメリカ演奏旅行の際役立った。若き日の楽しく、向う見ずな思い出の数々である。

第118回 教え上手
 「名選手必ずしも名コーチたりえず」の言葉通り人を教えることはプレイすることとは違った能力が必要である。私はかつて色々な人からサックスの奏法について教えを受けたがやはり理論的に教えてくれた言葉は体に染みついている。逆に感情的に「ハートをもって吹け」だとか「フィーリングが足りない」と言われてもどうもピンとこない。
 野球でもかつて名選手だった監督が「球をよく見て思い切り振りきれ」だとか「月に向かって打て」とか言ったことがあった。プロ選手ならいざ知らず一般の人には通じまい。より具体的かつ理論的な説明が求められる。更にその選手の能力に応じたアドバイスが必要である。
 今人を指導する立場になってつくづく教えることの難しさを痛感する。なかなか理解されずに苦しむことも良くある。しかしそうして教えていくうちにある日突然めきめきと伸び始めるのを見るほどうれしいことはない。コーチ冥利に尽きる。
 コーチするときにはまずはお手本を示されることが第1、そして理論的に説明し上手くいったら褒めること・・・これに尽きる。山本五十六が言ったという「やって見せ 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ」は音楽のコーチにも全くあてはまるのである。


第119回 You Tube
 YouTubeには様々な情報、映像が載せられており私もファンの一人である。一つの記事から次々に情報を辿っていくと時間を忘れてしまう。子供の可愛いしぐさの映像などには思わず微笑みたくなってしまう。
 私はジャズの演奏映像を参考に観ることが多い。このYouTubeは自分が撮影したものを投稿し、第3者が見る分には,全く問題はない。しかし第3者が勝手に撮影したものを投稿するとなると問題が残るのではないだろうか。本人が知らないうちに撮影された映像が全世界に流れるというのは考え物である。私などのような無名な者の演奏は別に投稿された所で毒にも薬にもならない。現実に自分の映像が載っていることを知って驚いた事もあった。しかし有名人となると捨ててはおけないだろう。肖像権の問題もあるが映像、音響が劣悪な状態なのも問題である。スターであればイメージダウンが避けられないのではないだろうか。
 先日住所で検索すると周辺および自宅の写真が克明に映し出されていることを友人から教えられた。YouTubeにせよ、自宅映像にせよ大変便利である反面個人情報が勝手に世界に流れるということは恐ろしい事である。まさに情報化社会の“もろ刃の剣”として注意したい。

第120回 ジャズ・アネクドーツ
 「ジャズ・アネクドーツ」(ビル?クロウ著 村上春樹訳)という本は何度読んでも面白く私にとっては「座右の書」ともいえる。アネクドーツとは「逸話」とか「噂話」の意味であり、アメリカのジャズ界に語り継がれた逸話の数々が面白おかしく書かれており興味が尽きない。
 元々ジャズマンというのは洋の東西を問わずそうした噂話が大好きである。しかも噂になりやすいユニークなプレーヤーがごまんといる。こうした噂話は多くの場合ジャズマンの間を駆け巡る間に元の話からかなり離れて尾ひれがつくものもある。でもそれがまた面白いのである。
 この本の興味深いのは登場人物がアメリカのジャズ黄金時代を支えた錚々たる人物ばかりで「えー、あのプレーヤーが!」というような話が満載である。それにしてもこの著者ビルクロウという人はベーシストであるが長年に亘って耳に入った噂話をすべて手帳に書き込んでおいたのであろうか、ネット時代ではないのにすごい情報量である。
 日本にも当然日本のミュージシャンにまつわるアネクドーツには事欠かない。トロンボーン奏者のUさんのブログにはこうしたアネクドーツが数々語られている。その中で信用度に応じてA,B,Cとランク分けされている点は親切である。こうしたアネクドーツは歴史の裏側を垣間見る貴重な記録として将来まで残していきたいものである。



過去のエッセイ

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